「観光地では中国人のマナーの悪さが際立っており……」
「歴史的な観点から韓国人は日本人のことを嫌いで……」

またやってる。いい加減にすればいいのに。

「多様性」。もし私の大学生活を一言で表すなら、この言葉がベストである。高校まで地元の田舎の公立学校に通っていた私は、いわば多様性とは真反対の均一的なコミュニティで学生生活を過ごしていた。

話す方言も、遊びに行く場所も、味噌汁に使う味噌の種類も同じ。何に対しても疑問を持たず、私たちの生活が日本のスタンダード。
本気でそう思っていた。大学に行くまでは。

自分とは違う何かに触れたくて、アメリカ留学へ

都会の私立大学に進学した私は、今までとは違ったコミュニティに足を踏み入れた。
茶髪に巻き髪のオシャレな子。系列校からのエスカレーター式で進学してきたお金持ち。海外生活が長かった帰国子女。

出会ったことのない人たちに囲まれ、私は日本国内での多様性について、少しだけだがかじれた気がした。
そして何より楽しかった。こんな世界があったんだ。こんな人生があったんだ。
自分とは違う何かに触れるたびに、ワクワクが、好奇心が止まらなかった。

そしてこの好奇心は、私を次なる目標へ駆り立てた。
「そうだ、留学に行こう。行き先は英語が得意だから英語圏へ、多様性を象徴したような人種のるつぼの国、アメリカへ」

留学中は日本国内とは比べ物にならないくらい様々な多様性に触れた。
親が中国人と日本人のハーフで国籍はアメリカの子、英語が十分に話せない移民の子、生まれとアイデンティティはメキシコだがパスポートはアメリカのものを持っている子。
誰がアメリカ人なのかという定義もあいまいになり、日本ではあまり出会えないような多様性に触れることが出来た。

私が出会った中国人・韓国人の友人は素晴らしい人たち

そのような多様性の中で、私は比較的、アジア人と分類される人種、それも中国人や韓国人の友達が多かった。近い国出身同士の方が考え方や行動が似通っていたから、一緒にいて楽しかったのかもしれない。

「日本人ってかわいい子が多い」「日本語はきれいだ」「日本のことが大好き」
彼らは、次々に日本に関わることを褒めてくれた。まるで昨今の国際関係やニュースで取り上げられていた彼らの日本人に対する態度が嘘みたいに。

日本に帰ってきて、多くの日本人の中国人や韓国人に対する態度が悪いことに気が付いた。「どうして中国人はあんなにマナーが悪いんだ」「こんなにアルバイトでミスをするなんて、やっぱり韓国人はダメだなあ」そんな言葉を、もう何回聞いたことか。

「違うよ!!! 彼らはいい人たちなんだ!!!」私はそのような言葉を聞くたび、叫びたい気持ちになる。
あの時日本人が、日本語が、そして日本のことが好きだと言ってくれた中国人や韓国人がいかに多かったことか。どんなに仲良かったことか。私が見てきた彼らは虚構だったのか? いや違う、そんなことはない。どうして、こんなことが起こってしまうのか。

メディアのコンテンツにこそ多様性への考慮を

「観光地では中国人のマナーの悪さが際立っており……」
「歴史的な観点から韓国人は日本人のことを嫌いで……」
テレビやラジオから聞こえた。新聞から、雑誌から、ネットニュースから読んだ。

これら、メディアのせいではないのか?
中国や韓国では反日をあおっているとよく聞く。
しかしそれは、日本も同じなのではないだろうか。
気を付けて見てみると、反中感情や反韓感情をあおったメディアがいかに多いことか。

全ての人種には多様性がある、いや、人種だけではない。性別、年代、宗教、出身地など、私たちは人を便宜上カテゴリー分けすることが出来ても、本当の意味ではカテゴリー分けすることが出来ない。
そのカテゴリーの奥に、海よりも深い、空よりも高い、そして宇宙よりも広い多様性が、そこには存在しているからだ。

たしかにマナーの悪い中国人や日本のことが嫌いな韓国人はいる。しかし私は見た。私がアルバイトでお金の計算を間違えた時、自分が損をすることになるのに優しく間違いを指摘してくれた中国人を。興味深そうに靖国神社の展示物をまじまじと見ていた韓国人を。

メディアの言うことを自分の頭で考えずそのままうのみにす視聴者が諸悪の根源なのかもしれない。

しかし同時に、そのような発信をするメディアも同罪なのではないだろうか。あいまいで申し訳ないが、メディア関係の皆様にはもう少し中立的な立場から、多様性を考慮したコンテンツを作って頂き、私たち視聴者は中立的な立場から、多様性を考慮してコンテンツを消費する。

そうすれば、全ての人々にとって生きやすい社会が、そこには存在するのかもしれない。