挑戦していたとしても、結果がなければ証明は簡単ではない

2022年の私は、自分のやってきたことをカタチにしていきたい。そう思っている。

例えば英語。中学からずっと勉強を続けて、中学のコンクールは3年連続学年1位、高校時代は1年留学、大学は英語入試で英語系の学科に進んだ。
けれど、大学に入ってからはただ授業を受けているだけで、資格も取らなかったし、留学にもいかなかった。
海外に行くことは昨今の状況では難しかったのもあるが、それよりも自分の興味がほかのことに向いていた。英語を学ぶのが楽しいなんて感情はどこかに消えてしまっていて、日本語の授業の方が楽でいいなあなんて思い始めていた。

就職活動に入った今、目に見える結果が求められることが増えた。どんなに努力していても、いろんなことに挑戦していたとしても、一目でわかる結果がなければ、それらを証明することは簡単ではない。
2021年はこんなに頑張っているのに、私は何も残せていない、何も成し遂げられていない、そんな気持ちになることが多かった。

自分に自信がなく、過去の自分の結果にすがり付きたくなった。そうすることで何とか自分の自信を保とうとしていた。自信がないと何事も控えめになってしまい、自分を上手く出せなくなってしまうのである。
私はそんな自分を情けなく思った。いい意味では2021年を通して自分の弱さを自覚したともいえる。

人生を通した目標は自由に生きること。自由の選択肢を増やす

だから今年は、何か目に見える成果を残したいと思った。物事は結果よりもその過程が大事だとはよく言うが、なんだかんだ人々が最初に注目するのは過程よりも、結果だ。過程は自分自身が辿ってきた道だから、そこから自身が学ぶこと、気づくことはもちろんある。けれど結果は評価に直結する。

GPA、TOEICの点数、学歴。頑張っているだけじゃ、結果が伴っていなければふるい落とされる世界がある。相手に悪気はなくても、相手もそれでしか判断することができなければ、そうするしかないのである。厳しいけれど、これらを手にするかしないかで、評価とそこから与えられる選択肢に差が出てくることは間違いない。

そもそも私の人生を通した目標は自由に生きることである。美味しいものを食べて、好きなところに住んで、好きなことをして幸せに暮らす、この理想を限りなく近く実現させることが私の夢である。
そういう意味では、選択肢が増えることは自分にとってプラスになる。選択肢が増えれば、より自由な環境に身を置けるチャンスが増えるからである。
2021年に「頑張りが報われない」とさびしい思いを抱えたぶん、2022年はそれらをカタチに残すことで、自分に自信をつけ、自由の選択肢を増やしたい。

結果がなければ保てない自信なんて、ちっぽけなものかもしれない。けれどないよりかはマシだ。
なぜなら、自信がなければ本来の自分よりも控えめになって、自分を殺してしまい、結果的に自分が苦しくなる。

楽しく生きるためには、健康と自分に対する自信、自由が必要

もう一つ宣言することがあるとすれば、健康である。新年早々健康などというと、なんだか年を重ねた人みたいな気がしなくもないが、2021年の私はいろいろなことを気持ちだけでやりすぎて、気づかないうちにキャパオーバーになり、心を体も崩した。 

バイトの仕事が覚えきれず、プレッシャーから不眠になってしまったり、マルチタスクに追われてサークルの仕事に専念できず、会議の日だけ体調を崩していたりした。
母の「体が資本」という言葉に、もっと耳を傾けていればよかったと今では思う。心も体も不調だと、自由に生きるための行動ができないし、その気力すらなくなってしまう。楽しく生きるためには、健康と自分に対する自信、そして自由、これが私には必要なのである。

エッセイも投稿し始めて1年近くが経つ。初めは、文字量の多さに楽しさより大変さの方が勝っていたが、今は日記の延長線上のように書くことができている。書くことで、自分の気持ちと向き合い、心の内を外に出すことができる。書き終えたあとの達成感、解放感が好きで、続けたくなってしまう。
2022年もエッセイを書き続けていくことで、自分の気持ちと向き合っていきたい。