一人暮らしに思うこと。知ってしまえば当たり前のことだが、知る前は想像すらしなかったことがある。
私の場合は改めて「何かを使ったら必ず後始末がある」ことを知った。
もっと言うなら「思い知った」。
見るも無残なクズ取りネットとの初対面。綺麗好きだと思っていたけど
具体的に言うと、実家にいた頃は洗濯機すら回したことがなかった甘ったれは、クズ取りネットなる存在を知らなかった。その存在はあまりにも当たり前過ぎて親もわざわざ教えはせず、知ったのは一人暮らし四年を過ぎた頃。
私はようやく、見るも無惨なクズ取りネットと対面した。
そもそも私が使っていた洗濯機はクズ取りネットが外から見える位置になかった。何気なく「ここ取れるのかな?」と開いた蓋の向こうに、真っ黒な「それ」はいたのである。
その日まで名前通りの役割を果たしていたのだろう。取れるものは取り尽くしたと言わんばかりに、本当に真っ黒だった。
最初に思ったことは「これは何だ」である。困ったときはすぐ検索、とは誰が言い始めたのか、私は急いで洗濯機の機種を調べ、そこで初めてクズ取りネットを知ったのだ。
今まで風呂場やシンクの排水溝掃除はしていた。トイレ掃除もしていたし、掃除機かけだって怠らなかった。洗濯だってちゃんとやる、自分はきれい好きだと思っていた。
しかしこの野郎、馬鹿も休み休み言えという話だ。
水面を埋め尽くす黒。言葉も出ない状況に、掃除に対する認識を改めた
四年。さすがに四年はない。気付ける瞬間はいくらでもあっただろうに、それこそきれいにスルーしていた。一人暮らし半年後くらいから、この洗濯機で洗った洗濯物は確実に汚かっただろう。最悪だ。
とにかく私は新しいクズ取りネットと強力な洗濯槽洗浄剤を購入した。
満水に入れた水の中に洗浄剤を投入、放置して三時間。なかなか値段の張る洗浄剤は、きちんと仕事をしてくれた。
水面を埋め尽くす黒、黒、黒。どこからか剥がれ浮いたカビ、ヘドロ、濁り水。言葉もなかった。声すら出ていなかったと思う。玄関で頭文字Gの黒いアイツと遭遇以来の衝撃だった。奴は半狂乱になりながらでも始末できたが、目の前の現実は半狂乱になっても消えはしない。とりあえず洗濯機は二回回した。
ゴウンゴウンと動く音を聞きながら、あのときの私は何を考えていたのだろうか。二回分だから計一時間強。思い出せないのはおそらく自己防衛の一種だ。
果たして、きれいになった(と思われる)洗濯機を前に、私は誓った。
もう洗濯機の掃除を疎かにはすまい、と。疎かにしたくてしていたわけではないが、理解は確実に足りなかった。
そりゃあ洗濯機だって使えば汚れるのだ。汚れたものは掃除しなければきれいにならない。自然の摂理、この世の理だ。大げさだがそれこそ真理だろう。真理を知れば人は変わる。
現にこの事件をきっかけにして、私は掃除に対する認識を改めた。大切なのは表面ばかりでなく、その裏側なのだ。
物知らずもここまでくると清々しい。自分を見つめなおすキッカケに
今まで親が私に頼んできた掃除など、精々が窓拭きや掃除機かけ、風呂掃除くらいのもので、洗濯槽に始まり、エアコンのフィルター、トイレタンク、その他諸々の普段目に見えない場所の掃除は頼まれたことがなかった。そして私はそれらを「汚れているんじゃないか?」と疑ったことすらない。
理由なんて決まっている。親が掃除していたのだ。私はそれを知りもせずのんびりと実家で暮らし、四年も一人暮らしを満喫していた。
物知らずもここまで来るといっそ清々しささえ覚える。
親は偉大だ。娘はたかが洗濯機のクズ取りネットにさえてんやわんやしている。何せゆで卵を電子レンジで温めたら爆発するという一般常識すらなかった女である。
問題なく一人暮らしができているなどと、なぜ思っていたのだろう。自分という人間を見つめ直す良いきっかけになった。
そして見つめ直した結果、この後そう経たずしてアパートで小火未遂を起こす。
さすがに思い知った。
一人暮らし、向いてない。