2022年がきた。私がやっと就職できる年である。あと2ヶ月もしないうちに本格始動が始まるので、ワクワクしている。
やっと悲願だった旅行会社で働ける、もうとにかくそれだけで嬉しい。犬だったら尻尾がちぎれている。今年は寅年だけど。

文章を打ちながら、今年は文章が上手くなりたいとなぜか思った

というわけで3が日最後の日にこれを書いているが、1日2日と私は本気で何もしていない。去年の大晦日まで別の仕事をしていたので、ええいままよと何もせず、ワンオクロックというアーティストのバンド映像をずっと見ていた。見ていない時間も基本的に彼らの曲を聴いている。今のお気に入りは、「キミシダイ列車」だ。
さあ何をしよう、と思って、ヘッドホンをつけたままとりあえずタブレットを開いた。そしてライティングアプリを開き、こんな文章を打っている。今年の目標をぼんやり考えていた時に、とりあえず書いてみるかと思い立ったのだ。
そして、考えを打ち込んでいるうちに、今年は文章がもっと上手くなればいいなあと思った。
そう、文章だ。なんでだよと自分でも思った。

私の就職活動の顛末が、かがみよかがみに赤裸々に載ったのが先日のことである。
小さな旅行会社に内定をもらったものの、その会社はコロナ禍でダメになってしまい、2年近くライターとしてとりあえずの食い扶持は稼いできた。
実家暮らしを選択した以上、家族にコロナのリスクを負わせるわけにはいかない。だからこそ在宅フリーランスを選択した。その間就職活動は続けた結果、なんとか旅行会社に内定をもらった。それが、大学卒業後の2年間の自分の動向だ。

ライター業を取り巻くさまざまな要素が精神的に辛く、苦々しい記憶に

そんなわけで、自分はライターという仕事にあまり執着がなかったのだ。とりあえずの場繋ぎ。
もちろんお金はもらっているから、仕事は適当にはやっていない。だが仕事をこなすごとに、仕事が辛くなっていった。
編集者さんと喧嘩したこともあるし、頑張って書いた文章が却下されたこともある。お金欲しさに出したいくつかのコンクールで梨の礫だったこともある。文章を書くのが特段得意だったわけではないが好きだと自負していた身には、それらの要素は精神的に辛いものだった。
その上、仕事を取り巻くさまざまも辛いのがライターだ。バキバキに固まった肩が辛くて泣いたし、画面を見すぎた結果の頭痛に泣いた。徹夜もかくやという中で書き上げた文章を提出した後、朝の光の中で鏡を見たら30代後半以上にしか見えない顔が浮かんでいて小さく悲鳴を上げたこともある。
同い年で同性の俳優へのインタビューという仕事は、否応なく社会と触れていない自分を直視しなければならなかった。キラキラ光る相手が反射する自分の像を眺める2時間。それはたとえタブレットの画面越しでも苦行でしかない。
ライターという仕事に紐づいた記憶は、苦々しいものになってしまった。

見つけた「文章」というフィールドが、欠かせないものになるように

とはいえその2年間で私は結構作り替えられたらしい。「書く」という表現が、いつの間にか好きになっていた。その要因のひとつに、文章を書きまくって慣れた、というのもあるだろう。文章の甲乙を理解できるようになった、というのも、修正されたことで競争心に火がついたというのも。
だけどそれ以上に、あの嫌だった仕事の中でも、文章を書くことが嫌いになれなかったのは大きな要因だ。自分の考えが、文字となって残っていく。それが純粋に楽しいと感じた。

だからこそ、文章が上手くなりたいと思うのだろう、きっと。
旅行会社に就職するくせにそんなの役に立つの? 冷静な自分はそういうけれど、でも今まで趣味らしい趣味も特にない、好きなことなんて「旅行」以外になかった。
そんな自分が見つけた「文章」というフィールドを打ち捨てるのはあまりにもったいないんじゃないか。負の側面、なんていわず、文章がいつか私という要素に欠かせないものになるように。2年間の悶々をいつか全て飲み込めるように。その一歩が2022年であればいい。