2022年の宣言を語る前に、2021年が自分にとってどんな年だったかを改めて振り返ってみる。
良いことも悪いことも両方あったけれど、それでも良い一年だったと思えるのは、私が人に恵まれ続けている証拠だなあと思う。

苦しい時間と共に、大切な人との仲を深めありがたさを感じた一年

2021年最初の1ヶ月はひたすら卒業論文を書くことに没頭していて、うまくいかないことも焦燥感もたくさん味わってちょっと苦しいなあ、と感じる時間を過ごした。

でもその分、2、3月は愛する大切な人たちに「大切に思っているよ」とちゃんと伝えることができる、私にとっても大切な時期を過ごすことができたと思う。
それぞれの進路で、一緒にまだ進める人も、別の道を歩き出す人も色々いる中で、でも私は彼ら、彼女らみんなに尊敬の念を持っていられることが幸せだなと感じていた。

4〜8月は新しい環境に慣れること、新しい環境での学びでの忙しさに充実感を感じる一方で、自分が歩きたい速度よりも速い速度で歩くことを求められることがあまりにも多くなっていくことに、疲弊していったように思う。
9月はほとんど1ヶ月間、自分の時間にしてしまおうと決めていたけれど、その9月に私自身があまりに疲弊しすぎていることに、客観的に危うさを感じ始めた。

10月に医師から精神疾患と診断され、ああ、これで少し楽になれたと感じた。自分の苦しい状況に病名がつけられ、守られることに安堵した。
そっかあ、私、こんなにしんどかったんだね、と改めて自分を労ってあげられる時間が持てたことは、とても大切な時間だった。
そんな中でも、大切な仲間や家族との仲を深められる機会がたくさんあって、その度に私が本当に人に恵まれる才能があるなあ、ありがたいなあと感じる瞬間が散りばめられていた。
そして、いつでも寄り添い続けてくれるパートナーには最大級の感謝を。

まだ不安定な私だけど、今年の反省を活かして、来年の抱負をここに

研究や進路に焦りが全くないといえば嘘になってしまうけれど、一回どん底まで落ち込んだからもう怖くない、とも思えるようになった。
来年からどんな速度で私自身が歩いていけるか、まだわからないなあと思っているのが正直なところ。ふとするとまだ危うさが急に立ち現れてしまう瞬間がある。もちろん、それに対する対処法は私なりに身につけてきたつもりだとは思うのだけれど。

そんなまだちょっと不安定な私が、来年の抱負を考えられているほどの余裕があるのかわからないけれど、今年の反省を活かさない手はないし、「無理」なことには「無理です」ってちゃんと言えるように、ここで表明しておこうかな、と思う。

私の2022年の抱負は、
「優柔不断でも、自分には誠実に」
です。

自分への「誠実」さは、きっと他の人への「誠実」にもなると信じて

修士2年生になる2022年は、進路も研究もたくさん迷うことも、大切な選択もたくさんあるんだろうな、と思う。
でもその判断基準は「自分」で良いんだって、気付けたのがこの一年苦しんだ私なりの答え。
「自分」がその速度で歩いて心地いいのか。無理はないのか。
「自分」がその選択で幸せなのか。無理していないか。
いろんな人の顔を見て優柔不断になりがちな私という人間を受け入れた先の、自分に向けた「誠実」さは、きっと他の人たちにとっての「誠実」にもなると信じて。

2021年、いろんな形で心配をしてくれた皆さまに、心からの感謝を。

そして愛する皆さまの2022年の抱負も、いつか聞かせてくださいね。