「お姉ちゃんまだ悩んでるの?」
5歳年の離れた妹は、私に幾度となく「まだ?」と問いかけてくる。
洋服屋さんで、本屋さんで、レストランで、ファストフード店で。しまいには機内サービスでもらう飲み物をリンゴジュースにするかオレンジジュースにするかで長いこと悩んでしまう始末である。
生まれてからずっと「優柔不断」な人生を歩んできた私
「お姉ちゃんっていつも優柔不断だよね」
そう、私は生まれてからずっと、物事を選ぶのに迷い、時間をかけてきた。
私の優柔不断は、家でも学校でも、さらにはアルバイトでもいかんなく発揮されている。
もちろん、この優柔不断な性格に納得しているわけではなく、何度も、何年も治したいと思っていた。実際、ここ数年の目標は「優柔不断な性格をやめる」であった。
なのに、優柔不断は治るどころか、私はますます悩むようになってしまった。
さほど悩むことなく直観的に選べる人がうらやましくてしょうがない。
でも、私の優柔不断は、レストランで悩みに悩んで頼んだ料理がくる間にも、本当にあの選択でよかったのか考えてしまうように、なかなか手ごわい。ただ単に、「やめたい!」、「これからは直観で選ぶ!」と言っただけでは、到底、優柔不断を治すことができるとは思えない。
私が優柔不断な理由。それは、すべてにおいて一番いい選択をしたいから
なぜこんなにも優柔不断なのだろう。
その理由が、最近分かった気がした。
大学生になって広い世界を知ったことが大きな要因であるように思う。
大学生になると、「高校までの勉強とは違って答えなんてないんだよ」という本当の意味を理解できるようになる。何をしてもいい、どんなことに時間を使ってもいい、自由にも思える人生が唐突に始まる。
「正解なんてないんだよ」
耳にタコができるくらい聞くけれど、私はいつも、正解を探しているようなのだ。
そう、私は、すべての行動においてあまりにも「正解」を求めすぎているのである。
どのメニューを選ぶのが「一番」お得なのか。
どの洋服を選ぶのが「一番」他人受けがいいのか。
どんなことをすれば就活において有利なのか。
だから、私の優柔不断は治る気配すらなかったのだ。
正解がない世界で、正解を求めようとしたら、そりゃあ選びきれない。
より良い人生を求めていたら、1つ1つの選択がこれでよかったのかと不安になる。
いつまでも正解を探し続け、正解が見つかるまで不安な人生。
それでいいはずが、ない。
正解のない人生。自分の人生を自分で選ぶ為に、自分が幸せになれる方を選択したい
いつの日かに読んだ本に、「良い人生の究極の定義など存在しない」とあった。
良い人生を追い求めていると、それを達成するための原則や方法があるような気がしてしまう。
でも、正解がないのなら、探しても追い求めても、いつまでたっても見つからないに決まっている。
人生の正解を求めるが故の優柔不断であるのならば、2021年は良い人生の定義を探すのをやめて、自分だけのものさしを手に入れたい。
自分が自分らしく生きるために、自分らしく生きて幸せな人生を送るための、幸せのものさしを持ちたい。
何を選んだら自分が幸せになれるかを考えたら、優柔不断を治す以上に、なにかしらの判断をすることが楽しくなるはずである。自分の人生を自分自身で選ぶことができるようになるのだから。
まずは、どんな出来事が私に幸せを運んでくれていたのかを洗い出したいと思う。何が、どんなことが私にとって心地よいものなのかを知って、自分だけの幸せのものさしを手に入れるんだ。
そうしたら、2022年には誰かにとっての良い人生ではなく、私にとって、幸せな人生を歩むための選択をすることができているはず。
2021年も上向きに頑張るぞ~