本を抱いて眠ったことがある。あれは、17歳の冬だった。
幼いころ、母はよく本を読み聞かせてくれた。施設を転々とし、引っ越しを繰り返していた私には、幼いころからのお気に入りの一冊の絵本のほかに本はなく、小説を読んだのは、高校に入学してからだった。
授業前の学校の図書館、帰り道の近所の図書館。私は本を読み、その言葉の濁流にどうしようもなく泣いてしまったり。こんなものが世界にはあったのかと驚いた。
女子高校生の私は、黒いかたまりになって、消えてしまいたかった
制服を着て、満員電車に乗り込む。ぎゅうぎゅうに押し込まれた車内で、名前も知らない誰かの吐息に執拗にからまれる。見てほしくない。スカートを長く伸ばしても、避けられないまなざしに怯え、新宿駅を歩いていた。
ある日、言葉にもしたくない暴力を、狭い車内で受けた。たった二駅の区間が、数時間、数十時間、何日、何年と感じた。車窓にうつる自分の顔が、怯えてはいないか、ただそれだけに集中して。何も怖くないのだと、何をされても奪われるものなどないのだと、平気な顔を見せていたかった。震える手を、胸に抱えたリュックの下に潜めて、扉が開くと改札まで走って逃げた。
私はあの瞬間から、朝の混み合う電車に乗れなくなった。
日が落ちたころに誰もいない教室にようやく辿り着く。いつまでもプラットホームに立ち尽くし、電車を見送る私の背中を、ひとりの駅員が見つめる。いつか死ぬと思われているのかなと、ベンチに腰掛ける。短く切った髪の毛を鏡で見れば、私のなかに眠る男が、私を犯すようで耐えられなかった。からだを隠すコートと帽子、マスクにウィッグ。女子高校生の私は、黒いかたまりになって、消えてしまいたかった。
誰にも言えないことが苦しかった。言ってしまえばいいのに。助けてほしいと、怖かったのだと、腹が立ったのだと、誰かに言えれば。しかし、言えなかったから。書くこと、読むことに必死になれた。
遡って抱きしめることのできない私を抱きしめたのは、本だった
家に帰れば、恋人に暴力を振るわれ酒に酔う母が、私の頬を叩く。男が怖い?男を知らないだけでしょ?私が悪い、私が悪いと言葉が巡る。自分のこころに刃物を突き刺して、全部痛くして。鈍くして。何もつらくはないと目を瞑る。
時を越えて会えるなら、あの時の私に会えるなら。そのからだを、いつまでも抱きしめたい。
自らに暴力を振るう男しか愛せない母のこと。そのからだにできた傷跡を手当てする指先を、離すことができないこと。子どもを産むこと。女であること。
桜庭一樹の『ファミリーポートレイト』を読んだ時、この本は私のために書かれたものであると錯覚した。思えば、遡って抱きしめることのできない私のからだを抱きしめたのは、本だった。
主人公のコマコは、若くて美しい母親に連れられ逃避行を繰り返す。ママに支配されること、女に支配されること、それでも私は、ママを守ること。呪いのような日々のなかで、コマコは本と出会い、言葉を手にする。かけがえのない、コマコのすべて。ママとの別れは突然訪れて、コマコは筆をとる。書くことで、生き延びていく一人の人生が、そこにはあった。
強く拒んでも、時間は止まってはくれない。だから書いて、生きていく
人生とは、生きていくものではなくて、生き延びていくものなのだと知った。必死に藻掻くこと、臆病に地面を見つめること。何も恥ずべきことはない、私について。
こんなものを書いていいのだろうかと、恐ろしかった。剥き出しの叫び声を、痛みを。傷だらけで、地を這うように前にすすんでいくコマコの背が見える。物語から脱した言葉たちが、私のからだを強く抱いて離さなかった。
苦しさを、悲しみを、乗り越える手段は、いつだって死しかないと思っていた。
「はやく死ねばいいのに」
絶え間なく聞こえる声。私が悪い。私が悪い。私が悪い、と思わないと。痛みを癒す方法を知らなかったから。泣き叫ぶ声を、掬ってくれるものがあるなんて、知らなかったから。怖かった。誰かに、誰かのつくるものに、助けてもらえるなんて知らなくて。
勇気を出さずとも捲れる頁の一枚一枚は、会話すら困難になった震える手のなかで、いともたやすく、私を救った。
コマコが書いて、生きてゆくこと。その姿に、開いた頁に、頬を寄せ、動けなくなるほど泣いたことを覚えている。
どれだけ力強く拒んでも、時間は止まってはくれない。過ぎ去った時間の端を握ることも、そこにあった痛みに手を伸ばすことも、できないから。だから書く。書いて、生きていく。
本を開けば。新宿駅の雑踏に、裸足で立つ女の姿が見える。
胸に抱く一冊の本には『ファミリーポートレイト』の文字がある。