「頭、痒くない?」。地元を離れる18歳の夜、初めて母親に髪を染めてもらった。「うん、大丈夫」。正直、その会話以外何を話したかあまり覚えていない。

あと数時間後には夜行バスに独りで乗り、18年間住んだ地元を離れる。その現実に直面し、寂しさに押しつぶされそうになっていた。

上京する時、母が送ってくれる車から風景を見て涙が止まらなかった

家を出る前に祖父母にお別れを言いに行く。「行ってきます」と私が言うと、「気ぃつけて。頑張ってきんさいよ」そう言って抱きしめた祖父母の背中は、思っていたより小さかった。ふと、「あぁ、もう一緒に過ごせる時間は本当に短いんだ」と痛感し、涙を堪えながら笑顔で手を振った。

母の運転する車でバス乗り場に向かう道中、車内は無言だった。まるで、「このまま車も時間も進むな」と皆が思っているかのようだった。私は、車窓から流れてくる風景を見て、「ここが朝を迎える時、私はもうここにはいないんだ」とふと思った。涙が止まらなかった。

いざバス乗り場に着いて、車を降りるという時。今までずっと前を向いていた母が急に振り向いた。涙でぐちゃぐちゃだった。

「いつでも、帰ってきていいけね。大丈夫。応援しとるから」。その言葉を聞き、今までの母の心の中の葛藤を垣間見た気がして、今まで溢れていた涙をきゅっと我慢して、「行ってきます」と言って車を降りた。

バス乗り場まで一緒に来てくれた妹の目には、涙がいっぱい溜まっていた

一緒に見送りに来てくれていた妹がバスまで荷物を運んでくれる。「手を繋いでいい?」。
「どしたん。いいで」。ふと反抗期真っ只中の妹から発された言葉に、些かびっくりしたが手を差し出した。

すると、妹がいきなり、「パパママのことは任せて」と言ってきた。びっくりして顔を覗き込むと、涙が目にいっぱい溜まっていた。

「ほんとに行っちゃうんだね。明日から部屋独りじゃん。どうすればいいん」。生まれて14年間一緒の部屋で過ごしてきた妹。普段何も言わないけど、そこで姉妹の繋がりをふと感じて、私は涙を我慢して、「頼んだで。あんたしかおらんけぇ」と言って、手を離した。

上京して涙が止まらなかったが、母から来たメールで奮い立たされた

夜行バスに乗り込み、バスが出発すると同時に携帯に沢山のメールが届いた。両親、姉、妹、先生、同級生たちから、沢山の「がんばれ」メールが届き、涙が止まらなかった。

最初は、「あぁ、もう家族と一緒に暮らすことは一生ないのだ」「なんて親不孝をしてしまったんだろう」というネガティヴな思いしか浮かんでこなかったが、母から来たメールで奮い立たされた。「自分で選んだ道。誰でもなく自分。戻ってもいいけど、一歩進んでからにしなさい。大丈夫。応援団長の母より」。

そうだ。自分で決めたんだ。だから、進むしかないんだ。なるようになれ。なるようにしなきゃいけない。そう思ったら、やけに地元の夜景が明るく見えた。応援してくれているような、そんな気がした。

目が覚めたら、そこにはトーキョーの朝の風景。地元全員を集めたような数の人が行き交い、忙しなく動いていた。バスを降りて「新宿の朝」を目の当たりにし、私は「ここで生きていく」ことを決めた。

知り合いはゼロ、ゼロスタート。この夜があったからこそ、ゼロの朝を迎え、今ここに私がいる。今も、この夜の思い出は私の背中をふと押してくれる。