人生において、お金が大切か、愛が大切か。誰もが一度は考えたことのあるテーマだろう。
私はお金は人生に不可欠だと絶対的に信じ込んでいた。よく言うような、愛情はお金では買えない、なんてくだらない、と。

第二の人生を始めるため通った英会話教室で、運命の本に出会う

自身の家庭環境の影響も大きかったのだろう。私が八歳の頃に両親が離婚し、母はすぐに再婚した。当時は上手く状況を理解できていなかったが、父が入れ替わったことだけは明確で、家族の脆さを痛感した。
今思えば、働いていなかった母は、生活のやりくりのために必死だったのだろう。中学に上がり、そんな母を私は、お金のために媚を売って恥ずかしい、とまで思い始めた。

このようなひねくれた考えは、私の恋愛観にも影響した。
彼氏や友達には困ったことがなかったが、誰かに頼ることをしたこともなかった。自立した大人へのあこがれや、母みたいにはならないという思いが、形を変え、誰にも頼らない性格を作り上げていた。

全く知らない土地に行って、全く知らない人に囲まれて、新しい人生を始めたかった。海外で第二の人生を始めるために通い始めた英会話教室で、私は運命の本に出会うことになった。皮肉にも、今の人生から抜け出すために通い始めた場所で、今の人生を愛しむヒントを得たのだ。

作者は自分と似ていると思ったからこそ、のめり込めたのかもしれない

ジョージ・オーウェルの「1984」、題名だけでは話の想像がつかない。英語の先生には、1948年に書かれた1984年の未来予想の話で、人々は独裁政権の支配下にあった、という説明を受けた。
最初はこの無機質な題名と悲観的な考えから、作者は自分と似ているところがあると思った。だからこそ、この本にのめり込めたのかもしれない。

物語は主人公のウィンストンが独裁者のビッグ・ブラザーに疑問をいだき始めるところから始まる。人々の行動や言動は巨大なテレスクリーンで監視されていたが、彼はスクリーンの死角で日記をつけ始める。
これは、重大な犯罪行為として捉えられていた。なぜなら、人々の感情も政府の支配下にあり、意見をする行為は禁止されていたからである。当然、誰かを愛することも禁止だ。彼らにとっての性行為は子供を作るための生産的な行動で、監視のもとの感情を伴わない行為だった。

お互いを裏切ったことの気まずさで、愛を思い出せなかった二人

母の姿が頭によぎった。母が再婚して私には十歳年下の弟ができた。ひねくれた私は素直に喜べず、表面上家族をつなぎとめるための子供だろうと客観視していた。
性行為だって時には義務になる。やっぱり、この本の作者は私と同じような考えを持っていると思った。私は、不思議な安堵感とともにページをめくった。

ウィンストンはジュリアという女性に出会う。ジュリアも政府に反感を抱いており、内部から政府を破壊するために、何人もの官僚達と体の関係を持っていた。そんな二人は心の拠り所を見つけ自然と密会するようになるが、それもつかの間、政府に捕まってしまう。

この後、彼らは拷問を受けるのだが、ここからが私にとって驚きと発見の連続となった。拷問中も彼らは互いに気にかけ、愛の強さを誇示していたものの、最後の拷問でお互いを裏切ることになってしまった。
政府はこの裏切りを望んでいたため、彼らは釈放される。その後二人は偶然出会うも、お互いを裏切ったことの気まずさで、お互いへの愛を思い出せなくなる。

愛は脆すぎて、時には変な形に歪んでしまうことに気付かされた

この終わり方は、一見、愛情の脆さを物語っているように思える。しかし、私には深みのある文章のように感じた。
愛情は政府にとって最も力があり、恐れるものだったということや、愛する人を裏切ることがたとえ相手にバレてないとしても後ろめたいこと。これらから、愛は脆すぎるがゆえに時には変な形に歪んでしまうことに気付かされた。

もしかしたら、母もずっと後ろめたい気持ちを抱えながら、自分を犠牲にして、私の生活の安定を考えていたいのかもしれない。新しい家族は母から私への最大の愛の形だったのかもしれない。
まだ完全には家族と打ち解けたり、自分をさらけ出したりすることは難しいので、母の不完全な愛の形を受け止めるところから始めていこうと思う。