7年程前、私は大学3年生だった。アルバイト先の主婦から
「大学生は、お金はないけれど時間はある。人生の夏休みだよ」
と言葉を掛けられ、夏休みに短期留学に挑戦することにした。「ホームステイ体験」をしてみたかったのだ。私は幼い頃から母1人子1人の環境で育ち、母、父、兄弟、姉妹が居て、家族団欒を楽しむ空気を味わってみたかったのも、理由の1つだ。

英語の会話への抵抗感や、ファミリーとの意思疎通の苦労も減った

大学内での、短期留学参加基準レベルをクリアし、自らの手でカナダのバンクーバーへの5週間の留学、ホームステイをコーディネートした。ホームステイ先はエージェントによって振り分けられるので、「運任せ」である。ホームステイ先が決定し、ホストファミリーとのメールのやり取りを数回した後、バンクーバーに飛んだ。
バンクーバー国際空港に到着した時から、ホストファミリーは私を「家族」として温かく迎え入れてくれた。早速、帰宅途中にあるイタリアンのお店に入って腹ごしらえをした。緊張と長旅の疲れであまり食べられず、帰宅後はすぐに3時間程寝かせてもらった。
ホストファミリーは、優しかった。語学学校までの道のりを事前に調べ、通学路を実際に案内してくれたりと、ホームステイ先に恵まれた。
アクティブなホストファミリーの誘いにも出来るだけ乗り、BBQや親戚の集まりにも参加した。「今しか出来ない」経験を積みたい思いから、家での時間は、ホストファミリーを見掛け次第、話し掛けたり、夕ご飯の際はその日の出来事を話したり、夕食後はファザーのおすすめのドラマを一緒に鑑賞した。少しずつだが、英語で会話することへの抵抗感や、ファミリーとの意思疎通に苦労する場面も減っていった。

もう1人の留学生とファミリーを繋ぐことは、私自身の糧にもなった

ホームステイして2週間が経過したある日、私と同い年の日本人留学生が、家族に加わった。ありがたいことに、ホストファミリーは私と彼女を同等に扱い、2人共を本当の娘のように大事にしてくれて、可愛がってくれた。
ある日、マザーから
「彼女は英語が苦手みたい。私達と彼女の間で、上手に意思疎通が図れていなかったら、あなたが通訳してね」
と頼まれた。ファミリー側も、私達日本人が伝えようとすることを汲み取ろうと、必死に努力しているのが伝わった。そうして、伝えたいのに伝わらなかった自身の滞在前半を思い返し、通訳的役割にも尽力した。もう1人の日本人留学生とファミリーとの会話に耳を傾け、繋ぐことは、私自身の糧にもなった。

一足先に、もう1人の日本人留学生は帰国し、あっという間に私も帰国する日を迎えた。
ファザーとマザーは家から空港まで、車で送ってくれた。車窓から景色をぼんやり眺めていると、これまでの幾多の思い出が蘇り、大粒の涙が溢れてきた。

生きていればいつか必ず会える。気持ちを強く持って生きていく

その時、私の頭の中は「せっかく『家族』になれたのに。この人達と離れたくない」という気持ちでいっぱいだった。マザーは私に
「Facebookやメールで繋がることが出来るし、いつかまた再会できるわ。日本にいる、あなたのお母様に、宜しく伝えてね」
と優しい言葉を掛けてくれた。私は彼らと、少しの期間でも「家族」になれて、幸せだった。
帰国後、ホストファミリーと私はFacebookを通して連絡を取っている。もう1人の日本人学生は、半年後にホームステイ先を訪れ、彼氏を紹介したとの報告を受けた。私は金銭面を理由に、未だ再会を果たせていない。
新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るう今、海外渡航や外出の自粛が呼び掛けられている。いつか、平和で安心して自由に、外出できる世の中になった際には、再会を果たしたい。生きていればいつか必ず会えると信じて、気持ちを強く持って生きていく。
自分や大切な人の命を守り、あの夏の挑戦、ホームステイでの思い出を胸に、「第2の家族」に会える、その日まで。