いかに自分の生活が恵まれていて、小さいものであるか痛感した

世界をこの目で見たい。
子供の頃からずっと私の中に刻まれている。

私が初めて外の世界に意識が向かったのは小学生の時、世界の国々の図鑑を親からもらったことだった。有名な国から小さな国まで全部で192カ国の内容が載っていた。
ヨーロッパのおしゃれな風景や中東アジアのエキゾチックな生活の雰囲気、アフリカやオセアニアの大自然。自分の日常生活とは全く違う世界が写真や文章から広がっていて、見ているだけでもワクワクした。「もし自分がこの世界に行ったら?」と空想するのが楽しかった。

その次に世界を意識したのは、中学生の時に映画「スラムドッグ$ミリオネア」を見たことだった。この映画から感じたことは、ストーリーの面白さより「衝撃」だったのを覚えている。
そこで描かれるスラム街の日常、暴力や差別、貧困を映像として初めて見た時、これが現実にも起きているということを見せつけられたような気がした。自分が認識していた「世界」は教科書の字面をなぞった表面的なものだったのかを思い知らされた。いかに自分の生活が恵まれていて、そして小さいものであるかと痛感した。

点でしかなかった歴史が線となり、そして「今」につながっていた

それから数年後、私は大学受験に失敗し浪人した時、そこで私は自分を変える運命の出会いがあった。予備校の世界史の先生との出会いだった。
先生はただ受験に必要な情報だけでなく、一から世界史を教えてくれた。政治的な出来事だけでなく、時代背景や人々の生活も含めて教えてくれ、時には先生が実際に各国を旅した時の経験も話してくれた。

おかげでそれまで点でしかなかった歴史が線となり、そして「今」につながっていることに気づいた時、うまく言葉にできない高揚感が自分の中から溢れた。遥か太古のギリシャ時代や古代中国の出来事が、巡り巡って自分の生きている現代に繋がっている。そして私が生きている今この時もまだ見ぬ未来に繋がっている。なんてすごいことなんだろう。と同時に自分の中である思いが浮かんできた。

自分が勉強しているこの世界を実際に目で見たい。教科書に書いていない世界が見たい。

教科書を読むだけではわからない「世界」が広がっていた

大学に進んでからやっと自分で旅行に行けるようになった。これまでに海外は中国の北京や湖南省、台湾、イギリス、国内では京都、伊勢、北海道、沖縄、出雲などを旅した。大学時代の貧乏旅も社会人の少しリッチな旅行も、どちらもそこでしか得られない出会いや刺激があった。広大な景色や非日常の空間、美味しいご飯、そして困った時に助けてくれた人の温かさ。時には体調を崩したり、悪い人に騙されそうになったり失敗もたくさんあったけれど、やはり教科書を読むだけではわからない「世界」が広がっていた。

旅行での経験や学びが自分の価値観に影響を与え、今の私に繋がっている。そして最近、この旅行に対する意識は巡り巡って小さい頃から続いてきたものだと気づいた。まだ見れた世界は少ない。行きたい場所、見たい景色がたくさんある。幼い頃から抱いていた思いが原動力となって旅行に対する欲望が今もどんどん溢れてくる。

今は思うように旅ができない時代になってしまったけれど、準備期間と割り切って貯金や行きたい場所への計画を立てている。
いつ自由に世界中を行き来できるようになるのかはわからない。でも前向きに考えられるのは小さい頃から続いている「世界をこの目で見たい」という思いが今の私にもずっと燃えているから。
きっと大丈夫、いつか必ず行けるようになる。そう信じて、私は少しボロボロになった世界の国々の図鑑を開く。