いくら頑張っても自分にできることには限界がある、それを強く実感したのは大学受験に失敗した時だった。
この思いは、大学受験から5年過ぎた今でも私の中に残り続けている。残り続けているのは、それだけ、当時の私が必死だったからだと思う。

勉強に生活を費やすも、結果はついてこず。でも納得できなくて…

高校1年生の夏、私は大学受験の中でも難関な国公立医学部を目指して勉強を始めた。当時は医学部に対してそんなに強い思いはなく、家族や友達がいつまでも元気でいられるように手助けしたい、自分の目標が欲しい、くらいの動機だった。

でも勉強を続けるうちに、いつしか「医学部合格」は私の中で絶対に譲れない目標に変わっていった。さらに、医学部に対する偏差値が全く追い付いておらず、中学から続けた部活動を退部したこと、親に月謝の高い塾に入れてもらったことも、一層私を本気にさせた。こうして私は、高校3年間をほぼ受験勉強に費やすことになったのである。

しかし、3年間の努力も虚しく、私は現役合格を果たすことができなかった。
友達と遊ぶ時間や寝る間も惜しんで勉強に明け暮れていたが、最後まで成績が思うように伸びなかった。
私の力不足であることは理解していた。でも、もう少し偏差値の高い高校に通っていたら?もっと受験勉強に時間を費やしてくれる高校だったら?といった環境への疑問が消えず、どうしても結果に納得がいかなかった。だから私は家族に頼み込んで、1年でケリをつけることを条件に、浪人を決めた。

浪人中の記憶は、正直あまりない。それくらい毎日勉強しかしていなかったのだと思う。私なりにやれることは全部やったはずだ。
それでも、本番まで合格ラインには届かないまま、私の大学受験は終了した。

どんなに頑張っても、自分の実力には限界があることを知ったとき

勉強に費やす時間、合格実績の高い予備校、受験に必要な費用、今度はすべて揃っていたはずなのに、結果を出すことができなかった。医師になりたいという自分の思い、家族からの期待にも応えることができなかった。どんなに頑張っても、環境が整っていても、自分の実力には限界があるのだと強く思い知らされた。

その後、私は医療系の他学部に進学したが、なかなか気持ちを切り替えられずにいた。
医師になる、という夢には諦めがついていた。しかし「自分なんて、頑張っても大した実力はない」という気持ちから抜け出せず、いつも自信のない自分と戦っていた。
それは周りの、大学生になった喜びと自信に満ち溢れた同期生とは対照的で、彼らを羨ましいと思わずにはいられなかった。彼らと自分を比べ続け、どこで道を間違えたのだろう、と悩み続けた挙句、大学を辞めたいと真剣に考えた時期すらあった。

それでも私が大学を辞めなかったのは、家族に対し私の将来とお金の心配をこれ以上させたくなかったから、ここで逃げ出したら全てのことから逃げ出しそうで怖かったからである。だからここまでの大学生活は、大学の同期との比較、自信のない自分と戦って、ひたすらもがき続ける毎日だった。

「人にどんな価値を与えたいか」。その問いで気がついた

そんな私であるが、今年から就活が本格的にスタートし、新たな一歩を踏みだそうとしている。その最中、気持ちに変化の起こる出来事があった。
先日、ある会社の選考を受けるためにエントリーシートを書く機会があり、その中に『将来、人に対してどんな価値を与えたいか』という問いがあった。
その問いに対し、私はなかなか答えを見つけることができなかった。それは、私が今まで自分のことしか考えてこなかったからだと思う。

実力の高さだけを見て、私自身を評価していたのかもしれない。人の役に立てば、私自身の実力の高さはその人にとって全く関係ないことに、その時ようやく気づいた。私が今、誰かのためにできることを一生懸命やろう。
私は、今年「将来医療人として誰かの役に立てるように、就活や勉強において今私にできる精一杯のことをやる」ことをここで宣言し、一歩を踏み出す。