「うつの入り口」との診断。頭痛やめまいで休みがちな日々は続いた

2022年、私はサステナブルに生きていく。
決して、流行っているからこの言葉にたどり着いたわけじゃない。
2021年は、世の情勢を横目に私のありとあらゆるものが一変し、少し前とはまったく異なる環境に身を置き、持続可能であることの難しさを知ったからだ。

桜が散り始めた頃、心療内科にかかった。初診のとき医師から言われたのは「まあ、まだうつでいうと入り口なので」。励ますための言葉だったのかもしれないが、「うつ」の二文字は私にとって重たかった。
しかし、いつまでも落ち込んでいられない。薬を飲んだら落ち着くだろう、自分や周りをだましだましでやっていこう、で過ごした。

そんな思いとは裏腹に、頭痛やめまいで休みがちな日々は続いた。次第に、夜中に何度も怖い夢で目が覚めるようになった。
寝るのが嫌になった。日中は頭が回らなくなり、判断力が落ちているのを感じていた。気が付いたら通勤途中や喫茶店でわけもなく涙が出た。

休職、復職、出会いと別れ。春夏秋冬がすぎる間にいろいろなことがあった

ある真夏の朝、街中でめまいに襲われた。立っているのも座っているのも辛く、ベンチで横たわっているところを救急車で運ばれた。
搬送先の医師に言われたのは「検査の結果は特に異常がないので、気持ちの問題でしょうね」。改めて現実をつきつけられた帰り道、このままじゃいけないと思った。

何が何でも、職場で倒れるわけにはいかない。意識を失い、同僚に心配されながら運ばれる自分の姿を想像したらぞっとした。周りに相談した結果、休職という形で職場から離れることを選んだ。
仕事をしていない罪悪感は頭の片隅にあったけど、涼しくなって来た頃にはその生活にも慣れた。

「休むのが最善」と開き直れる日々は貴重だった。その分、調子を崩して気分が沼の底にある日は最悪だった。布団から出られず、仕事も家事もできないなんてこの先やっていけるのかと泣いた。
たまに上司とやり取りをしていたけど、電話の前日は怖い夢を見た。今まで当たり前のように社会人として生活していたのに、数分の電話一本でもどっと疲れた。

そして冬――調子の上がり下がりを経ながら、現在は仕事に戻っている。
この春夏秋冬が過ぎる間に、後の結婚相手となる人と付き合い始め、祖父が亡くなった。友達に十数年の再会をした日もあれば、大好きなアーティストからの悲しい知らせもあった。全部2021年だったんだろうかと思うくらい、いろんなことがあった。

今の私の声を聞いて受け入れていく。穏やかな生活を続けていくために

真夏に救急車で運ばれたあの日から、明日、この身がどうなっているか分からないと考えるようになった。
年末、いつもなら「来年のやりたいことリスト」を書き始めて元旦には完成していたのに、今年は空白が残っている。どこに目標を定めたら良いのか、そもそも今の私に目標は意味があるのか判断がつかないまま、2022年を迎えた。

いざ年が明けると、それが今の私なんだと受け入れられるようになった。
2022年は、「持続可能であること」を念頭に日々を過ごす。今までは、理想の自分を思い描いて、そうなれるよう日々を過ごしてきた。バリバリ仕事をこなして誰とでもそつなく付き合えて、休日はお洒落してのんびり好きな化粧品買って趣味を充実させる。それが私の憧れだった。

でも2021年、長い休みの中で感じたのは「このままじゃ身が持たない」ということ。華々しい憧れを手放して、過去でも未来でもない今の私の声を聞いて受け入れていくことが必要だ。
たとえその声が、傍から見たら王道じゃなくても、思い切りが必要でも、私の生活が穏やかに続いていく選択を重ねていこう。その先でまたやりたいことに挑戦していけたら良い。そのためにも、どんな変化も受け入れるしなやかさを身につけよう。
限りある人生、私らしく生きていないと意味ないから。