ひとつ年下のいとこが、「お年玉はいらない」と言った。

彼は、小学校・中学校・高校・大学と、人生のレールを外れることなく真っ直ぐに歩みを進めており、地方公務員である教師として日々生徒たちと向き合っている。
一方のわたしは、中学校・高校・大学と不登校に陥り、24歳にして未だ学生という身分を背負いながら、千鳥足で人生のレールを踏みつけている。

対照的とも言えるわたしたち。
ババ抜きと神経衰弱で遊んだのは、もういつのことだか思い出せない。

10音の言葉で、脳内は挫折にうちひしがれた「過去」に支配された

ひとつ年下のいとこが、「お年玉はいらない」と言った。
その、たった10音の言葉が、鼓膜に進入してきたとたん、わたしの脳内は、「過去」に支配された。

中学校、1度目の挫折にうちひしがれた「過去」。
小学校では、満点の成績は当たり前、ことあるごとに表彰なんかもされてしまう、模範生なわたし。
でも、中学校に入学してからは、何もかもがうまくいかない。
成績なんて下の下の下、初恋のひとには、「ありがとう」と言って振られるし、
ふと隣の席を見れば、よだれを垂らしながら卑猥な言葉を浴びせられる。
いたるところでいじめが横行していて、耐えきれなくなったわたしは逃げるように転校した。

高校、2度目の挫折にうちひしがれた「過去」。
中学校では、いじめの暴力に耐えきれなくて不登校になってしまったけれど、
一念発起、今度は大丈夫。
でも、高校に入学してからは、やっぱり何もかもがうまくいかない。
成績なんて下の下の下、初めて付き合ったひとには「じゃあ別れよう」と言って振られるし、ふと隣の席を見れば、よだれを垂らしながら卑猥な言葉を浴びせられる。
いたるところでいじめが横行していて、耐えきれなくなったわたしは逃げるように転校した。

大学、3度目の挫折にうちひしがれた「過去」。
高校でも、いじめの暴力に耐えきれなくて不登校になってしまったけれど、一念発起、今度は、いや、今度こそ大丈夫。
でも、大学に入学してからは、やっぱり何もかもがうまくいかない。
境界性パーソナリティー障害とうつ病に罹患したことで、通学すらまともにできなくなったわたしは、逃げるように転学した。

わたしはいつ、「お年玉はいらない」と言えるようになるのだろう

あれ?わたしの人生ってループしてる?
むしろ、人生のレールからどんどん離れていってない?

ひとつ年下のいとこが、「お年玉はいらない」と言った。
晴れて23歳を迎えた彼は、平穏無事に社会人となり、同時に、お年玉なんていらないご身分となったのだ。
わたしは、ただただその事実を受け入れることができないばかりか、自身の「過去」を抱きしめてあげることができていない。

2022年、24歳、大学4年生の冬。
記憶に苛まれ続けること早10年、「過去」は境界性パーソナリティー障害とうつ病といった精神疾患に変貌を遂げ、わたしの身体を蝕んでいる。
あとどれくらいの年月が経てば、「お年玉はいらない」と言えるようになるのだろう。

「過去」の成れの果てである精神疾患の影響もあってか、大学を卒業するまでには2年ほど時間がかかる見込みだ。
2024年、26歳、大学6年生の冬。
わたしは大学を卒業することができているのだろうか。
「お年玉はいらない」と言えるように成長しているのだろうか。
願わくば、「過去」を昇華し「未来」を見据える自分であることを祈るばかりである。