就職活動中、しょっちゅう聞かれながらも全く答えられなかった、エントリーシート定番の質問。「今までの人生で感じた挫折と、それをどう乗り越えたかを教えてください」。
弱い人間にとって、なんて酷な質問だろう。学業で、部活で、人間関係で、挫折を感じたことはいくらでもあった。けれど、「挫折を乗り越えた」と胸を張って言える経験はひとつもない。挫折は挫折のまま。ずっとそのままだ。
「挫折を乗り越えた」と胸を張って言える経験がない
大学受験のとき、できない自分を家族や友人に晒すのが怖くて、模試でD判定を叩き出し続けた第一志望校を、結局最後まで変えられなかった。勉強しなければいけない時間に、携帯を触ってサボっていた。周りには「一生懸命やっています」のポーズを取っていた。
部活では、自分の得意なプレーを練習するのは好きだったけれど、苦手を克服する練習は大嫌いだった。これも自分の至らなさや惨めさを周りに、そして何より自分自身に、露呈するのが耐えられなかったからだ。
高校卒業間際、当時1番仲の良かった友人から怒りを買った。家族以外の人間から本気の怒りをぶつけられるのは、それが初めてだった。いつも優しかった友人の目が、尋常ではない怒りのエネルギーで燃えているのを見たわたしは怖くてたまらなくなり、その場から踵を返して逃げた。
その友人とはそれ以来、一度も連絡を取っていない。せっかくの友情も共有した思い出も、勇気のないわたしの選択で、一瞬にして無に帰った。
「直らない欠点を抱えたまま生きていってもいいじゃない」と伝えたい
少し振り返っただけで、こんなにたくさんの挫折がある。しかも根っこを辿れば、全て「できない自分を見せるのが怖い」というひとつの原因に帰結する。ここまでわかっているのに、その問題を解決することから逃げ続けてきたのだからしょうもない。
結局就職活動で、「挫折」系の質問には上手く答えることができなかった。弱い自分を隠し、ごまかしながらの選考に疲れ切っていたわたしは、当時まだ「売り手市場」だったにもかかわらず、1社に内定を貰った時点で就活を終了した。挫折まみれのわたしの歴史に、また新しい種類の挫折が積み重なった。
本当ならこの辺りで、「でも、こんな出来事があってマインドが変わった」とか「この人との出会いがわたしを変えてくれた」とか、起承転結の「転」エピソードを紹介したいところだ。
しかし、挫折だらけで煮え切らない人生を送ってきたわたしには、そんな象徴的な話はない。ただ、もしこのエッセイがサイトに公開されるとしたら、この記事を目にする人にこう呼びかけたい。「直らない欠点を抱えたまま生きていってもいいじゃない」と。
わたしはあと数ヶ月で28歳になる。「人は何歳からでも変われる」と言うけれど、「三つ子の魂百まで」という諺があるように、変われない部分もあるのが現実だろう。
挫折は乗り越えるものではなく、一生一緒に連れ回すものだ
変わらなくても、変われなくても、結局のところなんとか生きていける。そう思う方が今のわたしには気が楽だ。
様々な挫折を経験して、その後のわたしの人生はどうだっただろう。第一志望の大学には受からなかったけれど、通った大学では悔いのない学生生活を送れた。高校の友人とは未だに没交渉のまま。罪悪感で当時の夢を見ることもある。
得意分野は手が速いが、苦手分野はとことん後回しにしてしまう。これは社会人になった今も、部活に励んでいた当時と同じ。新卒で入社した企業に2年半勤めた後、全く別の業界に転職。新たな悩みも生まれたが、転職しなければ良かったとは断じて思わない。
時間が解決してくれたこと、どうにもならなかったこと、現在進行形で苦しんでいること、色んなことが入り混じっている。実際人生って、こういうものだろうと思う。
なんとも煮え切らないが、わたしにとっての挫折は乗り越えるものではなく、抱え込んで一生一緒に連れ回すものだ。近い将来か遠い未来かはわからないけれど、いつか必ずなんとかなる日がくる。……と、ダウンタウンと爆笑問題がテレビで笑い合う姿を見て思ったのだった(いつか全てのシンパイ事を、笑い飛ばせるよう願って)。