また新たな年は巡り、窓の雪は解けた頃に再び降り積もる睦月である。
北信濃の冬はただひたすらに静かで、感傷がしんしんと心の奥へ沈んでゆく。夜に見る夢はこれまた、どうにも胸を締め付ける。そんな季節がまだ3ヶ月、ひっそりと続く。
この2022年に、私は生まれ変わる。全ての業を断ち切り、止まった時計を動かして、新しい人間の生を手に入れる。新雪の上を歩むが如く、昨日を後ろに明日を前に。
感じていた発達障害の典型的傾向。高校受験まではまだよかった
自閉症スペクトラム障害の疑いあり。2017年の春、うつ症状で大学を休学中に受けた発達検査の結果である。他人のペースに合わせることが難しく、変化を受け入れるのに時間がかかる。周囲の音や会話を全て拾おうとしてしまうため、大勢の人の中での作業は集中できない。発達障害の典型的傾向であった。
高校受験まではまだよかった。予習に時間をかければ授業に付いていけたからだ。テストも一番いい時は学年次席。合唱部の活動も必死でこなした。
周りから見れば優等生だっただろう。周りを納得させるためだけに、私は県立のトップの高校に進学した。
私立高校の併願でさえ渋った両親が、それ以外の選択を受け入れるはずもない。当時はまだ、定時制や通信制は全日制に「通えない」人が行く学校だった。発達障害という言葉さえ知らない受験生が、少人数制の高校に行きたいと家族を説得するには、時間も知識も足りなかった。能力的な限界に気づいていながら、勧められるままにエリートコースに乗った。
苦手意識が芽生え、注意散漫になり、多くなる忘れ物。現実は厳しい
現実は厳しい。入学前の課題は、×と・が高校数学においては同義であるという変化が受容できず、苦手意識を持つようになった。注意散漫が顕著になり、忘れ物が多くなった。
一番ひどかったのは、部活用の楽譜を全てなくしてしまったときだろうか。周りからの信頼までなくしてしまったと思う。文化祭の出し物も、シフトが覚えられず穴を開けてしまった。私がクラスのために出来たことなど、音楽会の取りまとめぐらいしか覚えがない。
中学に比べて、勉強以外は自由にさせてもらえることだけが救いだった。なるべく明るく振舞っていたから、人間関係は平和だった。
何とかネガティブな思いをやり過ごしてきたが、17回目の冬が来た。覚えているだけで、一番苦しい文字通りの死の季節である。この頃の私のモチベーションは勉強にも部活にも既になかった。意中の相手の眼に映りたいという気力だけで登校していた。あの煩悩の炎が、唯一の美しい原動力だった。
結局、その人もまた他の誰かに愛されたかったのだと知った。炎はひっそりと、少しずつ尽きていった。後は感傷という燠のみが、眩い季節の残骸として、私を縛っていた。この人に愛される人間になれないのなら、この道にしがみつく理由はない。学校に足が向かなくなるのに、時間はかからなかった。
前進しているように見えても時々、冬の夜はつい思い出してしまう
それから3年、一浪して関西の私立大学へ入ることが出来た。発達障害やうつについて相談できる環境もあり、時間はかかったが卒業もした。最初に入った会社は反りが合わなくなり辞めてしまったけれど、今でも仲良くして頂いている。両親とは少しずつ和解し、通院の支援もしてもらえるようになった。
一見問題なく前進しているように見える。でも時々、特にこんな冬の夜は、つい思い出してしまう。
あの時、もう席について授業を受けるのが苦しいのだと誰かに相談していれば。部活を早い段階で諦めていれば。届かないとわかっていても、好きだと言えていれば。少しだけ生きやすい人生を手に入れられたかもしれない。他の同級生のように、華々しいキャリアを積めたかもしれないと。ほの暗い炎が、苦しみと輝きの一年を夢に見せるのだ。
あと何度雪が降るだろうか。夢にすがらなくてもいい人生に生まれ変わること。それが私の宣言である。