吾輩は転職活動中のアラサー独身女である。内定はまだない。自分にどんな仕事ができるのかとんと見当がつかない。ただ選考に落ちて落ちて落ちまくってわあわあ泣いてきた事だけは記憶している(ちなみにこの文章を執筆している間にも不採用通知が2通届いた)。

平穏な無職ライフをともにするのは、体重30g未満のハムスター

大学進学を機に上京したものの、将来の展望を上手く思い描けなかったわたしは、世の就活なるイベントと決定的に相性が悪かったようで、やがて心身に不調を来してしまった。
指南本の「自分自身を商品だと思って企業に売り込む姿勢が大切です」などという血も涙もないアドバイスに眩暈を覚えながら、思い通りにならない心と体を宥めすかして暮らしているうちに、気づけば非正規雇用労働者になっていた。
新型コロナウイルスが本格的に猛威を振るう最中で、遂にその職すら失い、現在に至る。

否応なしに始まった無職ライフは、拍子抜けするほど平穏だ。ささやかな貯金のおかげでとりあえず生活できているし、ペットもいる。オスのジャンガリアンハムスターで、体重は30gにも満たない。たこやきサイズの命である。
わたしたちは野菜やら豆腐やらを分け合って暮らしており(もちろん専用のフードを与えた上で、だ)彼は手渡されたキャベツの切れ端を無心で齧る。その小さな背中を眺めていると、不思議と心が救われる。

わたしの傍らに眠るねずみ色の毛玉には、「生産性」はあるのだろうか

近年は「生産性」やら「存在価値」やらといった表現を、かなり暴力的な文脈の中で見聞きする機会が増えたように思う。こうした言葉はもっぱら、社会に対して経済的な利益をもたらさない人間を糾弾するための凶器として使われがちだ。
そしてわたしはいつだって糾弾される側の人間だ。

だから失業が怖かった。金銭的な不安よりも、社会人というステータスを失ってしまう方が怖かった。学生の頃は面接が怖かった。お前は必要ない、と言い渡される時間が怖かった。
そうして受け取った企業からの不採用通知は即ち、社会からの死刑宣告と同義。まあ実情はさておき、気分としてはそんなところだ。そうでなければ就活自殺なんて言葉は生まれていない。

ふと傍らに目をやれば、ねずみ色の毛玉が眠っている。
ハムスターに「生産性」はあるのだろうか。
ペットとして、もしくは大型ペットの餌として、ハムスターは市場価値のある商品といえよう。それに、ささくれ立った人の心を癒してくれるという意味では、生産性があると言えるかもしれない。
しかしおそらくハムスターは、他人の役に立とうなんて殊勝な考えは持たない。人間は彼らを商品として扱うために繁殖させたけれど、彼ら自身は商品になることを望んで生まれてきた訳ではない。
わたしたちはあくまで生き物で、平等で、対等だ。少なくともわたしとわたしのハムスターはそうだ。彼は気分次第で人間の指を齧る。貴重なライフライン提供者であるはずのわたしの指を、である。
そこには感謝もなければ忖度もない、あるのは清々しいまでに自分本位な、生きる意志だけだ。

ただ自身の生を生きる。突き詰めれば人間だって、それで十分なはず

なあ人間。実際のところ、生きるってシンプルなんだぞ、なあ人間。

なんだよ、たった30gしかないくせに。
妙にふてぶてしいその態度が愛おしくて可笑しくて、わたしはいつも笑ってしまう。ハムスターに生産性があるか、存在価値があるか、そんな問いはきっとナンセンス。人間のバカバカしい物差しを小さな4本足で容易く踏み越えて、彼はただ自身の生を生きる。

突き詰めれば人間だって、それで十分なはずだ。社会の役に立たなければ生きてはいけない、なんてことはない。しかしいつの間にか、自分や他人を「生産性」で安易にジャッジし、隙あらば「存在価値」の有無さえ断じてしまおうとする価値観が、わたしの中にも、社会の中にも蔓延っている。
正直なところ、この風潮はあまり健全とは思えないのだが、どうだろうか。

とはいえ、社会の役に立つ人間になりたい、という青臭い憧れ自体は捨て切れないし、無理に捨てる必要もないと思っている。堅実にキャリアを積み重ねる友人の姿を眩しい思いで眺めたりするのも事実だし、葛藤や挫折や挑戦もまた人生の醍醐味だろう。
でも、別にそれを選ばなかったからといって、生きる権利が損なわれはしない。つまるところ、わたしの心身を健康に保つためにも、意地悪な価値観とは距離を置いて生きていけたらいいな、と思っている。

今日も明日も生き物らしく、ふてぶてしく生き抜いてやろう

ところで、畏れ多くも冒頭でオマージュ風に使わせてもらった『吾輩は猫である』について、その結末は意外と知られていない。
端的に述べると、猫は死ぬ。酒に酔って水甕に落ち、這い上がることを諦めて溺れ死ぬ。一説によると著者である夏目漱石は、この作品の連載を億劫だと感じ始めていたそうで、多少強引でもまあいいか、とこんな形で幕を引くことに決めたらしい。

億劫ならわたしだって負けてはいない。しかしわたしは酒に逃げるつもりも溺れて死ぬつもりもないし、ついでに言うと商品でもない。役に立たない人間だと嗤われたって上等だ。
今日も明日も生き物らしく、ふてぶてしく生き抜いてやろうと思っている。