何度もタダ働きしてきた。お金より「やりがい」で動いていた

私はお金が好き!というほど、お金に興味はあまりない。好きではないとは言い切れないが、お金のために行動することが出来ない。

これまでに、給料が安いから転職するとか、お金が好きでお札を数える日々を送っているという人を見てきた。私とは価値観が真逆だなと内心思うのだが、それも悪くはないなとも思える。
そこまでお金に執着することが出来ない私からすると、それらの行動は尊敬に値する。お金という条件で行動ができるその行動力を分けてほしいぐらいだ。

いままで、学生生活での部活動や実習で幾度となくタダ働きをしてきたと思う。自分のためにやっていることだろうと言われれば、それまでであるが、それなりに辛いことも経験してきた。こんなことをするなら、バイトをしてお金をもらう方がいいのでは?と思ったことも、もちろんある。
だけど、私が継続できたのはお金よりも、やりがいとかいう目に見えない大切なものの存在や価値に気づいたからだと思う。それから、私はやりがいという言葉に目がない。

お金のことを考えて行動するときは億劫になってしまう

私にとって、お金を目的にした1時間と目標達成を目的にした1時間は、時間経過のスピードが圧倒的に違う。何を思って行動するかは、過ごす時間の質にも関わってくる。

私にも学費を稼ぐために始めたアルバイト経験はある。
お金のことを考えながら行動する時間は、経過が遅い。あといくら稼がなければならないのかと計算すると気が遠くなる。こんなにも働いたのに……と考える自分が嫌になる。お金に関しての欲には、キリがないなとつくづく思う。
お金のためにアルバイトへ行くのもすぐに億劫になるので、今日もスタッフに会いに行こう!とか、稼ぐこと以外の楽しみを見つけてモチベーションをあげていた。
お金は自然と通帳に入っているスタイルで、学費が払えれば満足だったので、あまり額は気にしていなかった。
いつでも自分のためのお金よりも、人のために行動していたいタイプである。

社会人になり、正社員として働く歳になったのだけれど、責任感だけで毎日ただ仕事に行くことだけしか考えていなかった。わたしは、給料に見合った仕事を果たせてないと思っていたし、初任給に対してもさほど喜びを覚えなかった。今思えば、ちょっと悲しくも思う。

働いている時は、お金を使う時間もあまりなかったし、使う目的がないと、稼いだ充実感もない。お金がほしいと思う理由も今までお世話になった人に恩返しがしたいと思うことぐらい。あとは、奨学金を返さなきゃいけないこと。もはや、義務ぐらいに思っていた。

とはいえ、遊ぶ時間とお金があることはありがたい

しかし、仕事から離れると遊ぶ時間が出来て、お金があって良かったなと思う。矛盾だらけの考えだけど、結局お金だけ持っていても充実感は得られないし、時間だけあっても楽しくはない。何事にもバランスが必要なことに気づかされる。

自分でお金を稼ぐことが出来るようになってから、自分のものを自分で買うことの出来る喜びも感じることが出来る。
普段から遠慮がちな私は、欲しいけどいらないと思えばいらないなと、あまり物を買わない。けど、推しには貢ぎたくなっちゃうし、自分が欲しいと思ったものを買うことが出来るのも自分で稼いだお金の特権である。

有限であるお金も時間も、有効に使ったもの勝ちである。
いつかなくなってしまうなら、今使っておいた方がいいなという一種の開き直り精神で、今を楽しく生きていくのが理想である。