私は小さい頃から「うちは貧乏だから」と言われて育ちました。人口1万人ちょっとの田舎町。両親と2人の妹と私の5人家族でした。
両親共に働いていたし、衣食住に困ることはなく、貧しいと感じた事は一度もありませんでしたが、両親はいつも「うちは貧乏だから」と言いました。
「うちは貧乏だから」旅行なんて行けない。「うちは貧乏だから」ゲームなんて買えない。「うちは貧乏だから」公立の学校に行きなさい。
よく分からないけど、うちは貧乏なのだと思っていました。
母は「うちは貧乏だから」と言っていたが、一度も貧しいと感じなかった
私が小学5年生になった春、父が病気で倒れ他界しました。母は小学生の娘3人をひとりで育てなくてはならなくなりました。母は、まだ35歳でした。
母の「うちは貧乏だから」はさらに増えましたが、それでも私は、一度も貧しいと感じる事なく育ちました。教科書や制服はもちろん、好きな服やお菓子、かわいい文房具も買い与えられていました。たまにゲームや漫画をねだると「うちは貧乏だから」と言われ、「子供を甘やかしたくないだけなのでは?」と思うこともありましたが、これを言われると何も文句を言えなくなるのでした。
やがて高校生になり、進路を決める際にも母は「うちは貧乏だから」と言いました。「うちは貧乏だから、お母さんは学費を払えない。奨学金を借りて、学費の安い国立大学に行きなさい」と。
私は特別行きたい大学もなかったので、母の意見の通りに、自分の行けるレベルの大学を選び進学しました。私はこの事に何の不満もなかったですし、何より合格した事を母が大変喜んでくれた事が何より嬉しかったのを覚えています。
大学の免除制度を申請する際に、初めて母の年収を知った
大学では奨学金の他に、貧乏学生のための格安寮や授業料免除などの制度があり、私もこれを享受することとなりました。
申請の際には自分が貧乏学生たる証拠が要り、ここで初めて母の源泉徴収票を見ることとなりました。
「年収250万円」。私はそれが決して高くない事は分かりましたが、子供3人を養い生活していくのにどれだけ大変な事か、まだ分かりませんでした。
当時はまだ、「あぁ、本当にうちは貧乏なのかもしれない」などと思っていたのでした。母は少ない年収の中やりくりして、子供を3人も育てて大変だなあ、とどこか他人事のようにも思っていたのだと思います。一生懸命働く母に対して、何て失礼な事でしょう。
私も結婚・出産し、初めて「母の偉大さ」を感じる事が出来た
やがて私は就職し、結婚をし、子供が生まれました。そして、初めて母の偉大さを思い知る事が出来ました。生きるという事はこんなにもお金がかかるのだという事を、今やっと思い知るのです。
私は夫婦共働きで、世帯年収は当時の母の年収の4倍はあります。それでも、とても贅沢ができるわけではありません。
家のローンに、車のローン、生活費に、医療費、子供の学費の積立に、老後への備え……いくらあっても足りないのです。
さらに、母は私が結婚をする際に、一冊の通帳を渡してくれました。
「300万円」。出産祝いに始まり、これまで預けたお年玉。親戚からの各種お祝いに、児童手当や遺族年金まで。母は1円も手をつけず、貯金してくれていたのです。300万円×3姉妹分、貯めたのだそう。
私は涙が止まりませんでした。今までたくさんワガママを言ってごめんなさい。申し訳なくて、このお金には手をつけられません。
母は一生懸命に働き、子供に苦労をかけないように、我慢をさせないように、必死にやりくりをし、私を育ててくれていたのでした。
もし私が母と同じ立場だったら?とてもじゃないですが、900万+αの貯蓄をするなど想像もできません。
私たち娘は皆、社会人になりました。私はこれから、どんな親孝行ができるのでしょうか。
母がこれからの人生、自分のためだけに、自由にお金をたくさん使えますように。貧乏ながらも、母のお陰で娘は立派に育ったと思ってもらえますように。私は母への感謝を一生忘れないように。