私が小学生の時に思い描いていた20歳は、こんな予定ではなかった。もっとしっかりしていて、もっとオシャレで綺麗な「大人」になっている予定だった。
今年の誕生日が来たら20歳になるのだが、かつての幼かった私が思い描いていた大人とはあまりにもかけ離れてしまっている。
親からはずっと子ども扱いを受けている。変わったのは外見だけで、中身はちっともあのころから成長できていないのではないかと悩んでしまう日さえある。
大人になるって?子供らしいって?子供にも大人にもなれない私
高校生の頃、漠然と思い描いていた大学生活とはかけ離れたものになってしまった。リモート授業で喋ったことはあっても顔を知らない友達とは会えず、みんな同じ学部学科の子の顔さえ知らないまま、1年を終えようとしていた。私は結局「大人」になりきれないままだ。
去年の3月、大学に受かった私は大学と家の間にある塾で初めてのアルバイトを始めた。私は主に小学生や中学生を見ていたのだが、生徒たちからすれば私も大人に見えるようだった。
生徒たちに「大人になるってどういうこと?」と、少なくとも彼らからは「大人」に見えているであろう私が質問した。返ってきた答えはすごく単純明快なものだった。
「お酒を飲めるようになること!」
小学生や中学生は、お酒を飲めるイコール大人になるということらしい。とても子供らしい考えだな、と私は思った。そう思った時に「子供らしい」ってなんだ?と、ふと疑問に感じた。
私は生徒たちからすれば立派な大人の一人に違いない。しかし、両親や周囲の大人たちからすれば、まだまだ未熟で子供だと思われているのだ。
その扱いが酷く不快で息苦しく、早く大人にならなければと強く感じてしまう。
だからと言って、胸を張ってすべての責任を背負えるような大人なのかと聞かれれば、首を縦に振ることが出来ないのもまた事実だ。
私よりたった数か月、数年早く生まれたあの人はすごく大人に見えるのに、私は子供にも大人にもなれないでいる。
大きな人になるための過程にいることを教えてくれた恩師
ある日、昔通っていた習い事の先生に久しぶりにお会いする機会があった。その先生は隠し事をしても全てお見通しであり、また的確なアドバイスをくれる私が信頼している「大人」のひとりである。
その先生に、大人になるというのがどういうことなのか分からないと相談してみた。すると、先生は私にこう聞いてきた。
「大人になったら何も悩むことってなくなると思う?」
私は迷わず「いや、それはないと思います」と答えた。すると先生は笑いながらこう続けた。
「そう。むしろ、悩むことの方が多くなる。大人は働いて、迷って、沢山の責任を背負いながらも自分で答えを探していかなきゃいけないの。大人って子供から見れば何も悩んでなさそうで、お金持ちで好きなものを好きなだけ買えて羨ましいと思われているでしょうね。勉強なんてしなくていいし」
たしかにそうだ、と私は思った。子供のころ、早く大人になって好きなだけお金を手に入れて、好きなものを好きなだけ買いたいとずっと羨んでいた記憶を微かに思い出した。
「どんな時に子供に戻りたいと思う?」
続けて先生は私に尋ねてきた。
「それは……悩んでも考えても答えが出ない時、ですかね」
「その悩みは、子供の頃のあなたなら考えもしなかったことでしょうね。そもそも子供の頃には悩まなくてもいい悩みだったのかもしれない。でも、今はそれに悩まされていて、子供の頃に戻りたいとすら考えてしまうんでしょ?それって十分に大人に近づいていると私は思うのだけれど、どう?」
尽きない悩み。でも一日一日が成長している
今悩んでいることのほとんどが、幼い頃には全く考えもしなかったことばかりだった。
幼い頃は20歳になれば自然と大人になるものだと考えていたし、まさかこんなことで悩む日が来るなんて、あの頃の私は思いもしないだろう。
私は先生と話を終えてもなお、結局「大人」にはなりきれないままだ。尽きない悩みをずっと抱えながら一日一日を過ごしていく。でも、あの日先生がくれた言葉は確実に私を「成長」させてくれている。
「私とあなたとでは『大人』の基準が違うから、簡単に、もうあなたは大人よ、なんて言えない。でもね、人は悩み続けている間はずっと成長を続けているのだから、沢山悩んでいろんな意味で大きな人になるといいよ」