お金との付き合い方は人によって様々だけれど、私にとってお金は自分の一部であり、自分や周りの人を幸せにするための道具だと思っている。

将来の資金に心配がなくなった私は「終活」と称した投資を始めた

大学生の頃、海外旅行に行くのが目標で必死にバイトを頑張った。運転免許も自分の貯金をはたいて取りに行った。
周りの友人は旅行も運転免許講習も親のお金で行っていたけれど、自分で頑張って稼いだお金で何かを成し遂げることに、一種のやりがいを感じていた。
一方で貯金も怠らなかった。親の借金返済を手伝っていたことや、奨学金の返済があること、将来結婚するとしたら結婚式や新生活にお金がかかることなどを考えると、少しのムダ遣いも自分に許すことができなかった。

社会人になると、もともと物欲が少ないこともあり、休暇のたびに旅行に行ったり、一人暮らしを始めたり、家族や友人にプレゼントをしたりと、貯金残高を逐一気にせずとも自分のやりたいことが不自由なくできるようになった。

将来に向けた資金も心配がなくなった。正社員として安定的に給料が入ってくると、今自分が抱えている貯金だけでなく将来入るお金も信頼できるようになり、先々何かあってもどうにかなる、と楽観的に考えられるようになった。
そもそも自分がいつまで生きているかもわからないので、貯金を使い切れずに死んだら逆に損かもしれないとも思った。

昨年、「終活」と称して生命保険と不動産投資を始めた。
貧乏家庭で生まれた一人っ子の私は、両親や祖父母が事故・病気をしても私にしかお金が出せないというプレッシャーが強かったのだが、私が死んでも保険金が降り、不動産が資産として家族に残ると思うと、心が楽になり以前と比べ物にならないほど生きやすくなった。
利益目的でなく、私のような動機で不動産投資を始める若い人は少ないのかもしれない。

有効にお金を使いたいと寄付などを始めたが、一定以上は出せなかった

「終活」もある程度整い、今あるお金をさらに有効に使えないかと考えた。
寄付をした。動物保護団体や出身大学など、自分の代わりに社会を支えてくれる人たち、自分がお世話になった人たちに、お礼や恩返しをするつもりだった。
投資をした。利益目的というよりも、自分がお世話になっている企業やこの先楽しみな企業を応援したかったから、あえて積立NISAではなく通常のNISAを選び、特定の企業の株を買い始めた。

特別優秀でもない私が安定した仕事に就けたのも運と縁だから、反対に同じく運と縁で恵まれない人たちのためにも世の中に還元しなきゃ、と思う。
けれど、寄付も投資も一定以上の金額は出せなかった。やっぱり自分が身を削って稼いだお金だから。

今の仕事はしんどい、辛い、難しい。
翌朝の打ち合わせに向けた資料がまとまらなくて、朝まで寝たり起きたりしながら悩み続けたり、周囲の期待に沿えなかった時に自分を責めてご飯が喉を通らなくなったり。そんな時、自分の仕事の重さに気づく。

職業に優劣はないし、人間の価値が年収で決まることもないけれど、やはり見返りの大きい仕事にはそれだけの理由や代償、求められる価値がある。
それに対して自分がどう感じるかもまた別の話だから、仕事に強くやりがいを感じるときはよいのだが、うまくいかないときには一気にバランスが崩れてしまうのだ。

自分のためにお金を使って生まれる活力と循環は、生きる楽しさの一つかも

私が必要以上にお金を稼ぎすぎているのであれば、より楽な仕事に変えるのも一つの選択肢だ。でも今の仕事にはまだ、自分を必要としてくれる人がいる、やりたいことがある。ありがたいことだと思う。とするならば、もっと自分のためにお金を使ってもよいのかもしれない。

高級スイーツを食すもよし、ブランド品を買ってみるもよし、両親と高級なディナーを楽しむもよし、二次元の推しキャラに貢ぐもよし。
それは自分の喜びに繋がるだけでなく、その商品・サービスを提供してくれた人を応援することにも繋がる。私がお金を稼ぎ経済を回すことが、私や周りの人だけでなく、どこかの知らない人の力にもなるのだと気づいた。

先日、趣味のサックスを良い楽器に買い替えてみた。思い切って投資した分だけ毎週きちんと練習するようになり、趣味を通じた新しい仲間を得ることもできた。
自分のためにお金を使って、それがまた活力になって仕事や趣味に勤しむ。その循環も、生きることの楽しさの一つとも言えるかもしれない。

さて、次は自分にどんなご褒美をあげようかな。