コロナが蔓延して2年。以前に比べて人に会う機会が格段に少なくなった。そして、大抵の事がリモートで出来るようになった事で、自由になる時間が増えた。
その自由になった時間で私は、読書を再開した。学生だった頃は、よく勉強の合間に読書をしていた。勉強という優先するべき事があり、その息抜きに本は私をいろんな時間・場所へ運んでくれた。
コロナで自粛ムードとなった時、いつの間にか時間に追われて見る事がなくなった本棚に、すっかり忘れていたその事を思い出し、懐かしい本を手に取ったのがきっかけだった。
コロナ禍で再開した読書。登場人物たちが孤独を埋めてくれた
懐かしい本を読み始めてみると、主人公たちが自分より年下になっていたり、今とは違う生活習慣だったり、内容はあの頃と少しも変わっていないのに、とにかく新鮮な発見がたくさんあった。そして、なによりもそこで悩んだり苦しんだりした先で幸せを探している人物たちは私の孤独を埋めてくれた。
そう、私は孤独だった。通勤のために小さな部屋を借りて一人暮らしをしている私は、コロナでリモートワークとなってからというもの、文字通り黙々とお仕事をこなすだけの日々を送っていた。
最初こそ、通勤のための時間が自由になり、満員電車から解放された事を喜んだ。でも、自粛が叫ばれ飲食店が店を閉めるようになると、いつものように友人を誘うことがどうしても難しくなった。
ただ無駄話をするために会う事はあっても、無駄話をするために電話をかける事は出来なかった。そうしているうちに、会話をする機会が減り、それまでにはなかった言葉に出来ない感情が積もっていった。
私が読書を思い出したのは、そんな時だった。物語の主人公たちは、私の言葉に出来ない感情を言葉にしてくれた。そして、その言葉を紡いだ誰かがいる事、それを読んだ人がたくさんいる事、そんな当たり前の事が私の孤独を見つけて、埋めてくれた。
丁寧に書かれた物語は、過去や立場は違っていても私のどこかにある似たような感情を呼び起こして、その感情の名前や向き合い方を伝えてくれた。
心惹かれたシーンを音読する。忘れかけていた感情を思い出した
そして、私の小さな部屋でもう1つ始めた事がある。それは、心惹かれたシーンの音読だ。
心に残ったとか感動したとかそんな大それた事でない。それでも、1つの物語を読んでいる途中でふと「あっ」と感じるシーンがある。
それは、何か思い出しそうだったり、似たような事があったなだったり、様々だ。それでも、時間に追われていた時には感じなかったそういう感覚を見逃さないようにしている。そして、そのシーンを人物になり切って感情をこめて音読するのだ。
俳優ではない私がどのくらい上手なのかなんて分からないし、少しだけ恥ずかしい思いもある。でも登場人物の感情だと思えば少しだけ恥ずかしさは薄くなるし、それでも感情の生まれた場所は私の中にあって達成感がある。
状況を思い浮かべて感情を言葉にすると、こんな風に笑っていた、悲しんでいたと思い出す事や、こんな怒りの感じ方があるのだと気づく事もある。
人との関わりが希薄になって忘れかけていた感情を思い出せたし、暗いニュースばかりでも元気になれた。
心に残った感情の表現は、きっと私の心が求めているもの
まだまだ、以前のように友人と会って笑ったり他愛のないおしゃべりをするのは難しい。関わりが薄くなる中では、感情まで薄くなっていくようで怖くなる時がある。
そんな時は、物語の中の誰かの感情を借りてみると良い。心に残った感情の表現は、どんな感情でもきっと私の心が求めているものだから。
そして、こっそり真似してみる。時には私ではないくらい大声で笑って叫んで、それだけでも、心が少しだけ元気になるから。
誰にも知らせない、私のためだけに生まれた、私の舞台がそこにある。