当たり前の日常、それだけで素晴らしい。
コロナウイルスの影響で当たり前の日常がもはや当たり前ではなくなってしまった。対面で会うことが厳しくなり、オンライン上でしか話せなくなり、人間関係の希薄化を日々実感する。より人との繋がりが薄くなり、孤独を感じる人が増えたのではないかと思う。

変化していく「日常」。私の心には、ぽっかり穴が空いてしまった…

コロナ禍での私の日常は、家にいる機会がかなり増えて、大学の友達にも会えず、オンライン上で話すことが多くなった。就職活動をしているのだが、インターンシップも対面はなくなり、オンライン上で開催されるようになった。

コロナで日常が変化したことによって、色々と見えてくるものがある。私はコロナ状況下で、より孤独を感じるようになってしまった。もともと、一人が苦手な方だ。

夜になると、もって行き場のない感情が押し寄せてくる。訳もなく虚しくて仕方なくて、それでも生きなきゃって思って、夜ご飯はとっくに食べ終えたのにぽっかり穴が空いた感情を埋めるかのように甘いものを口に運ぶ。それが最近の私の日課になっている。

私と同じような人間はいるのだろうか? みんな人には言わないだけで、誰にでも悩みがあるし、みんな苦しんでいる。

コロナ状況下で私が思ったこと。それは「生きること」の素晴らしさ

最近、よく思うことがある。三食食べて、毎日お風呂に入って、特に何もしなくても普通に生きてるだけで偉いなって。生きてるだけで素晴らしいなって。

私が思ったことは、コロナ禍という非日常な状況で生きていかなければならないからこそ、身近な繋がりを大切にして、目の前で起きている現実から逃げずに向き合うことが大切だと強く思う。

あと色んな情報に埋もれないことや、取捨選択することは必要なことで、何が自分にとって大切か見極めることが、このような状況化で生きるために欠かせないことだと思う。

決して「当たり前」はない。だから、模索しながらも乗り越えよう…

私は、コロナ禍を乗り越えることはできるだろうか?
誰しも生き辛さを感じてしまう世知辛い世の中でうまく生きていくためには,、どうしたらいいんだろう?

その問いは、私の核心をついていると思う。私は、その答えを今日も探し続ける。正解はないけれど、私の中で回答を出したい。

生きていることって、答えを探し続けることなのかなとふと思う。
まず、なぜ生まれてきたのか?
人生最大の問いの答えを“人生”という迷路の中で模索するところから始まる。

このコロナ禍を皆んなで乗り越えたい。孤独を抱えているのはあなただけじゃないことを伝えたい。私は、今日もエッセイを書いている。どうか…当たり前は、決して当たり前じゃないことを忘れないで。生きてる自分に今日も乾杯。