友達と楽しいお喋りをした日の夜は、糸が切れたように疲れが出る

「今日は楽しかったよ。ありがとう、またね」
休日の夕暮れ時。久しぶりに会った友達とひとしきりお喋りをして楽しんだ私は、友達と別れを告げ帰路に着く。家に帰ると、何かの糸が切れたかのようにどっと疲れが出る。
「はー、疲れた」
友達と会った日の夜は、疲れてしまうので無理をせずゆっくりお風呂に入る。SNSを見たりメッセージのやり取りをしたりといったことはしないで、小説を読んだり漫画を読んだりしながら、1人の時間を満喫しつつ早めに寝てしまう。

これが私の生活スタイルだ。中学生くらいまで、この生活スタイルが普通なのだと思っていた。けれどそうではないことを、知った。

どうやら世の中には2種類の人がいるらしい。「人と会うことで元気になる」タイプの人。もう一つは「ひとりの時間を過ごすことで元気になる」タイプの人。

私は完全に後者だ。人と会うこと自体は嫌いじゃないけれど、疲れは蓄積されていく。いくら楽しかろうと元気になることはない。
いろんなタイプの人がいるけれど、どちらが優れているとか、どちらが劣っているとかそんな優劣はなくてどっちも素敵だよね、なんて綺麗な言葉で片付けられてしまうかもしれない。

ひとりで過ごさないと元気になれない私は、弱い人間?

けれど、私は、「ひとりの時間を過ごすことで元気になる」自分が嫌いだった。人間として劣っていると思っていたし、活動的な人たちを見て羨ましく思っていた。「ひとりの時間を過ごさないと元気になれない」私は、なんて弱くてダメな人間なのだろうかと。

そんな中、新型コロナウイルスが猛威を振るって、ちょっと誰かに会うことすらも非日常になった。
この非常事態を乗り切るために、「おうち時間」をどうやって楽しむのか盛んにアイデアが出され、創意工夫をしてステイホーム期間を乗り越えている様子がテレビやネットで映し出されていく。

そのような世の中を冷静に眺めている私がいた。だって、そんな工夫を凝らさなくたって楽しく過ごせるのだから。これは「ひとりの時間を過ごすことで元気になる」タイプの人の方が劣っていると思い込んでいた私にとって、衝撃的なことだった。

私は、完璧に見えていた「人と会うことで元気になる」タイプの人の綻びを見つけることで、自分の性格も悪くないのかもしれないと思えるようになった。
「ひとりの時間を過ごすことで元気になる」タイプの人は弱くてダメな人間なのではなく、どんな非常事態でも豊かに生きることができるのだと。

自分の時間を大切に過ごすこと。劣っているとか優れているとかはない

自分の性格を受け入れられるようになってきた私は、昔よりも少し生きやすくなった。少なくとも、「ひとりの時間を過ごすことで元気になる」タイプであることに息苦しさを感じずに済むようになった。自分を卑下せずに済むようになった。そして、昔よりもちょっぴり広い視野を持つことができるようにもなった。

見渡してみれば、「ひとりの時間を過ごすことで元気になる」タイプの人も大勢いるし、その人たちもそれぞれ自分の時間を大切に生きている。劣っているとか優れているとか、そういったことは全くの偏見だったとわかった。

少しずついろんな経験を積み、ああそうなんだという実感を重ねることで、「私」を丸ごと肯定できるようになっていくのかもしれない。生きれば生きるほど、「私」の人生は生きやすくなるのかもしれない。

これからどんどん「私」のことを肯定して大切にして生きていけるといいな。そうすれば、何をしたって「ひとり」の時間は楽しくなるはずだから。