パニック状態でただ待つ地獄のような40分、見知らぬ人に救われた
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命の危険を感じる不安と恐怖が襲う。
これまで経験したことのないことへの驚きも。
どうすることもできないのに泣きじゃくる。
まるで子どものように。
初心者マークをつけて間もないころ。
初めて車でひとり事故を起こしたときのことを今でもよく覚えている。
結果だけ言えば、誰かを傷つけることも物を傷つけることもなく、そして自分も無傷。
何も問題がなく、奇跡といってもいいくらい幸運だった。
けれど、それがわかるまでの数十分は生きた心地がしなかった。
よりによってひとり事故を起こした場所は、朝の通勤時間の混雑した大きな交差点。
車が動かなくなりどうしようもなくなった。
ひとつの道をほぼ塞いでしまった状態で、警察とレッカー車が来るまで待った。
車からひとまず降りてみる。
状況をよく理解して、すでに涙は止まらない。
自分ではどうすることもできない状況。
幸いにも何も巻き込んでいないからただ待つことしかできない。
でもひとりで待っているその時間は恐怖だった。
さらなる二次事故が起こらないか。
すごく怖かった。
さらには警察の方が到着するまで40分くらいかかると告げられた。
パニック状態で待つ40分。
すごく長く果てしない道のりに思えてくる。
そんな大号泣してどうしようもない私。
そこは車社会で道を歩いている人など皆無。
誰もいない。止まることのできる場所でもなかった。
けれど、見知らぬ人が現れた。
近くに車を止めてここまできてくれた様子だった。
その方は、ただ待つことしかできないその状況に、「ただ待つ」ことに付き合ってくださった。
警察が来るまでの時間ずっと近くにいてくれた。
朝の忙しい通勤時間にずっとそばにいてくれた。
その時はパニックでまともに感謝の言葉も伝えられず、ただ泣きじゃくる泣き言を聞いてもらったように思う。
そして無事警察とレッカー車が到着したら、そっとその人は肩をポンと叩いて去っていかれた。
なんて優しい方だろう。
名前も聞くことができずお礼もできていない。
けれどこの体験から、大きなものを得た。
「見知らぬ人に優しくしましょう」、と言葉で言うのは簡単だ。
でも一体どれほどの確率で手を差し伸べることができるだろう。
自分のそのときの忙しさや状況を加味しても、自分の時間つまりは命を使って人に手を差し伸べることは勇気がいることだと思う。
ましてや命の危険がないと言い切れない状況下に、わざわざ近寄り寄り添うこと。
当時の自分には考えられなかった。
もう車にも乗らなくなったし、事故を起こした土地からも離れた。
だから、あのときあの日優しくしてくださった方とおそらくもう会うことはないのかもしれない。
けれど、そのとき頂いた愛はこれからも忘れることはきっとない。
その感謝の気持ちを今度は私が他の誰かに恩を回していきたい。
そんな風に思いながら、もしも、あの時助けてくださった人に会えたなら、私も、「見知らぬ困っている人を助けられる」人になっていたい。
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