退職し、長期アルバイトへ。趣味の読書の時間が増えた
新卒で入社した会社を辞めて、約7ヶ月が経とうとしていた。
会社の雰囲気や業務内容が自分に合っていなかったようで、家族とはちょうど良い距離感を作れていたのに、一人暮らしの家を退去して泣く泣く実家に帰ることになった。
それからは短期離職や短期アルバイトを繰り返して、半年以上経った今やっと自分に合った長期のアルバイトを続けることが出来ている。
地獄を経て、今まで一生懸命追いかけていた「なりたい自分像」が薄く、透明なものになっていることに気がついたのは、つい最近だった。
追いかけるものや、目指すものが無くなって空っぽになってしまった。今まで「なりたい自分」に必要だった趣味も、頑張ることに疲れ切ってしまった。
コロナ禍で、数少ない友人と気軽に顔を合わせることも出来ずに、バイト先以外での人との繋がりが減っていった。
私の趣味の一つに読書がある。本を読まないと落ち着かない、というわけではなく、続けることが苦ではなくて退屈を埋められるからだ。
それに学生時代、泰然自若な先生はみんな口を揃えて「本を読みなさい」と言っていた。空っぽになった私でも本を読むことは出来たため、やらなくなった趣味や友人と遊ぶために使っていたお金と時間を、読書と本の購入にあてるようになった。バイトの休憩中、帰宅後、出勤前、休日。読み終わった後の達成感も好きだ。
あまり好みではない本。最後の「文庫解説」を読んでみると…
本にも相性がある。内容が難しすぎて理解できなかったり、文体が自分に馴染みのないものだったり、ストーリーや主人公がどうしても苦手だったり、個性がある。
先日、読み終えた本も、あまり好みではない本だった。ページ数も少なく、読んでいられないほど違和感があったわけではないので、惰性で最後まで読み終えたのだった。
多くの小説には、本編の後に「文庫解説」という欄が設けられている。著者本人以外の作家や批評家が、その小説の批評をするのだ。
普段は、文庫解説は読まなかったり途中まで読んだり、と気分によってまちまちだった。今回読んだ小説の批評を書いたのは、名のある作家であったため、どれどれ……と文庫解説を読み始めた。
まず、冒頭には批評をしている作家自身が、この小説の著者は自分にとって特別な作家である、というような内容だった。他の作家と比較してどんな点が秀でているのか、メタファーを用いて説明されていた。そして、登場人物の台詞やイメージの捉え方に深く共感し、子どもの頃に悩んでいた自分が救われた、と全体を通して絶賛だった。
本の批評から「この物語を読んだ自分以外の人」の存在を意識した
正直、私には理解ができない批評だった。
私にとっては、それほど心動かされる表現のものはなかったし、共感出来るものも少なかった。ましてや、救われたと感じる本ではなかった。この批評を書いた作家は私とまるで感覚が違う。驚いたのと同時に、私ではない他人が読んだからこそ、私と全く異なった印象を持ったのだろう、とも感じた。
本を読むことは、外側から一見すると「一人で自分の世界にいる人」と捉えられがちだ。私はそう思っていたし、本を読んでいる自分もそうだと思っていた。
しかし今回、私はあまり好かない小説の批評を読んで、「この物語を読んだ自分以外の人」の存在をはっきりと意識した。
この小説を絶賛するなんて、一体どんな人生を歩いている人なんだろう。
私は一人、趣味の読書で他者(小説の物語と文庫解説を書いた作家)と繋がったのだった。