大学4年の冬、8年付き合った人と別れた。
自分で別れをきりだしておいて勝手ではあるけれど、人生の3分の1以上を共に過ごした相手とこの先、関わることが出来なくなってしまう、もう何気ない出来事を共有することも、一緒に笑い合うことも、掃除が雑だとかそんなしょうもない理由でケンカをすることも出来ない、そんな無の関係性に戻ることが、どうしようもなく身が裂けるほど苦しかった。
強く憧れ、追いかけた背中。そして私たちは恋人同士になった
好きになったきっかけは単純で、当時中学の先輩だったその人に強く憧れたから。
生徒会長を務めていたその人は、成績優秀で部活動でも成果を上げていて、努力家で自分が持っていない物を全て持っているような人で、とても輝いて見えたのをよく覚えている。
私もその人のようになりたくて、側にいれば自分も少しは、その憧れの姿に近付けるのではないかと必死にその人の背中を追いかけた。
私は、その人が所属している委員会に入り、その人が得意だった教科を教えてもらい、どんどん距離を縮めていった。
そんな努力が身を結び、程なくして私達は恋人同士になることが出来た。
凡庸な自分が憧れの人から認められ、たった一人の恋人に選んでもらえたのが嘘のようでまるで夢をみているようだった。
でも、それは幸せの始まりでもあったけれど、憧れの人と自分との埋まらない差を直視する日々の始まりでもあった。
側にいて気が付いたのは、私の思う努力はその人にとっては普通だということ。
その人は、自分は普通だと思っている謙虚さを持ち合わせている反面、自分よりも劣った人を見ると、何故そんなことが出来ないのか理解できない、といった傲慢な一面も持った人だった。
「どうして出来ないの」と叱責されることはなかったけれど、「ズナならすぐできるようになるよ」という励ましの言葉を勝手にプレッシャーに感じて、常に押し潰されそうになっていた。
彼を好きになるのに反比例して、自分を好きでなくなっていった
もっと色々なことが出来なければ振られるんじゃないか、せっかく側にいるのに全然その人のようになれない自分への劣等感、弱音を吐いた時に放たれる「ズナは何を頑張ったの?」で気が付く自分の怠惰。そんな日々の積み重ねで、自分がどんどん好きではなくなっていった。
それでも私達は愛し合っていたし、私が落ち込んだ時には好物を作ってくれたり、人付き合いが苦手な私を見かねて自分の友人の輪にも入れてくれた。その人のおかげで私は大学生らしい遊びをたくさんさせてもらったし、本当に良くしてもらっていたから感謝しかない。
でも、そうされればされるほど自分のダメさが際立つようで、その人を好きになるのに反比例して自分のことが好きではなくなっていった。
自分を好きでなくなることが苦しくて、別れの二文字はなんとなく常に頭の中にあった。
限界を迎えた原因は、私の就職活動だった。
大手メーカーに就職した背中を追うようにして、私も同規模の企業を受け、そして落ちた。結局内定を得られたのは、目標からかけ離れた規模の企業だった。
この会社で頑張って転職するというのもありかもしれないが、そんな実力は私にはあるのか。この劣等感を抱えながら、この先何十年も生きていけるだろうか。そもそも私よりも数段華やかな場所で働いているその人は全然楽しそうではなくて、その人よりも下の世界にいる私の人生に楽しいことがあるのか、何もかもに絶望していた。
この先こんなダメな私をこの熱量で愛してくれる人がいるのか、プライベートな人間関係が別れと共に一定数なくなってしまう可能性もあって、それでもこの先行儀の良い人生を続ける退屈さに負けて別れを決意した。
誰にも愛されないことはない。少なくとも私は「私」が好きだから
当時の私へ
5年後は、今あなたが想像した以上に騒がしくて楽しいよ。
仕事も入社4年くらいから楽しくなってくるから、もう少し頑張って。嘘って言われそうだけど、今私、細々と占い師鑑定業も営んでる。
当時よりよく笑うようになったし、なんやかんやそれなりに友達もいる。
別れをきっかけに疎遠になった人もやっぱり少しはいたけど、それでも関係が続いている人もいるからまぁ大丈夫。
ちなみに、今予想してるよりも別れを引きずるから覚悟した方が良い、4年は引きずる。その人以上は中々いない、知らぬ間に理想が上がってしまったことに呆然とするから、そこだけは本当に覚悟して。
でもそれもきっと大丈夫。誰にも愛されないってことはなさそうよ。少なくとも当時より私が私を好きだから。
安定や安心を手放して新しい道に一歩踏み出してくれてありがとう。
そのおかげでたくさんの人、機会、学問、体験、当時予想もしなかった出会いで当時よりも幸せ。その一歩を活かして大切に瞬間瞬間を生きていくね。