就活で自己分析をしていた時、ふと気がついた。
「私にはゆずれない信念がない」
これといってゆずれないものもこだわりもなく、安定した企業に入れれば何でもいいやと思っている自分に直面し、驚いた。

やりたい事を上手に諦め、いつの間にか「好き」なものは離れていった

今まで私は、やりたい事を上手に諦めてきたように思う。
好きなことで生きていくのは難しいし、失敗したら取り返しがつかないことになる。
特段やりたい事が無いんだから、いい大学に行っていい会社に行けば、大人になった時に好きなことを何でも出来るよ、って大人(誰だったかは忘れた)に言われて、妙に納得したのを覚えている。
「私、将来〇〇になりたい」と言った時に、「本当の本当にそれがやりたい事なの?」と聞き返されたような覚えがある。
そのたびに、「これは不適切な夢なんだな」と判断し、誰かにとやかく言われるのは面倒だから、この夢は諦めよう、みたいな具合に、夢を諦めるのが上手くなった。
失敗したら取り返しのつかないことになるのは嫌だし、誰にもとやかくうるさい事を言われないんだったら、特段やりたい事がない子のふりをしていればいい、と思うような子供になってしまった。
絵を描くのも、文章を書くのも、海の生き物を調べるのも大好きで、どれも私の生活に欠かせないものだったけど、将来のために役に立つわけではないから、今時間を割くべきではない、大人になったら沢山やればいいと自分に言い聞かせることにしていた。
そうするうちに、いつの間にか、多くの「好き」だったものが私から離れていってしまったように思う。

本当にやりたかった事を、どうしてその時々で手放してしまったのか

大人になって、自分がやりたかった事ではない仕事に人生最大のストレスを感じて、その時初めて気がついた。
「本当にやりたかった事を、どうしてその時々で手放してきてしまったんだろう」
絵を描きたいと、作家になりたいと、魚の生態を勉強したいと思っていた自分を、どうして私だけでも肯定してあげなかったんだろう。
「好き」なことを見つけるのも、それを「好き」でい続けるのも簡単なことじゃないのに、どうして自分から手放しちゃったんだろう。
もちろん、好きなものを必ずしも仕事にしなきゃいけない訳では全然ない。
人知れず、自分の中でだけひっそりと「好き」でいれば良かっただけの話なのに、私は安直にも愚かにも、手放してしまった、人生最高の宝物を。
限りある時間を、自分の好きなことではなく将来のために頑張らなきゃいけないことに費やすことが多すぎた。
大人になってみてやっと、ゆずっちゃいけなかったものを次々にゆずってきた自分にやっと気づいた。

その結果、私は今、思う存分文章を書いている。
ゲームも、海の動物を調べることも、絵を描くことも、もう後回しにする理由がない。
「好きなことを当たり前のようにする」その信念を、私はもうゆずりたくないと思うから。
やりたくないけどやらなきゃいけない事いっぱいで、好きなことを楽しめない毎日よりも、
やらなきゃいけない事をしながら、好きなことも諦めない毎日を生きて、明日を楽しみに眠る日々の方が幸せだから。