私の強みは「どんなに辛くても苦しくても切羽詰まっても、夜は眠れること」だ。就活のエントリーシートに書いてよければ、ぜひ書きたい。
「目が冴えて眠れない」という悩みを持ったことはほぼないし、昼夜逆転生活などもしたことがない。
大好きな海外旅行で時差ぼけになっても、日本に帰ってきて自分の部屋のベッドに入ればぐっすり眠れて、朝きちんと目が覚める。
深夜0時には必ず眠くなり、ベッドに入ればスッと眠れる私は、逆にいえば夜眠らないと何もできない体質だ。眠っていないという事実だけで心臓がバクバクいって不安になるし、昼過ぎには立っていられないくらいにフラフラしてくる。
この素晴らしく理想的な朝型な私だけれど、意地でも眠らない、眠ってはいけない日々が一度だけあった。
それは21歳の時。専門学生の頃、卒業制作のシーズンだった。
課題に追われた学生時代。卒業制作のために削った睡眠時間
私はファッション系の専門学校のデザイナー学科を卒業している。今となっては晴れて企業に勤めるデザイナーとしてきちんと働いているので、母校には感謝しているのだが、当時のことを思い出すと気がおかしくなるくらいの量の課題を常に課されていた。
よって私たち生徒の頭の中は、常に課題でいっぱいいっぱいだった。
男の子のいないクラスかつ、学校にいない時間はバイトをするしかなかったので、彼氏などできるはずもなく、遊ぶ友人も当時はクラスの友人だけになった。学校とバイト先と家を往復するのみの日々。
だけど私はその日々がとても楽しかった。頭を埋め尽くすのは、まだ見ぬ新たなデザインの洋服。それを実現させるために絵を描いて、学んで失敗して、手を動かして……。
夢中になれるものがあって、毎日をそのためにフルで使っていいなんて、それがたとえ課題であろうとも幸せなことだった。
そしてその日々の集大成が、卒業制作発表会。個人でテーマを決めて作品として洋服を作り、ファッションショー形式にして発表するのだ。
私の学生生活での1番の目標は、この制作で審査員から賞をもらうことだった。
「作品が出来上がらない、間に合わない。本当にマズイ」
発表会1週間前。そう嘆いていたのは幸いにも私だけではなかった。
毎日9時から22時まで学校で作業をしても、バイトのシフトを減らして土日を制作に費やしても、どんなに手を動かしても、一向に完成が見えなかった。
「今日はここまで終わらせる!!」その宣言通りに進むこともなく、時間ばかりが早く過ぎていった。
友人たちも含め皆、己の限界を超えるような作品を作りたがっていたからこその有り様だった。
作品が完成しなければ発表会に出すこともできない。当たり前に、私の目標も叶えられない。
もう削るべきは“睡眠時間”、この一択だった。
「寝ていない」というより、「そもそも夜なんて存在していない」
眠たくて眠たくてたまらないのに、「寝てはいけない」のプレッシャーを重くのしかけ、意地でも目を開け続けた。
友人の中には睡眠防止剤という、いかにもヤバそうな薬に手を出した子もいて、先生からの差し入れのレッドブルが危うく毒薬になるところだった(薬局で売っているもの。注意書きに睡眠防止剤を飲んだ後にカフェインを摂取してはならないと、しっかり記載されている)。
毎晩のようにミシンを走らせ、終わらない不安で涙が流れたりして、でも作品を濡らしてはいけないから必死で堪えて。
あの日々を後1週間長く続けていたら、きっと倒れるか精神崩壊かどちらかはしていたと思う。
「寝ていない」「眠れない」というワードは、一晩ならばちょっとした話のネタ程度で済む。
だけど、あの時の私たちの「寝ていない」は、そんな甘いものじゃない。
発表会当日まで、朝も昼もそのことだけで頭がパンパンで、200%の力で生きているというのに、疲れを癒す時間すらない。そもそも夜なんて存在しないような、そういう「寝ていない」だった。
あの時諦めてベットに入っても、きっと自分に負けたような気持ちになって、どちらにせよ眠れなかっただろう。
そうまでしても叶えたい夢と、完成させたい作品があった。
あの日々を、青春と言わなかったら一体なんと呼ぶんだろうか。
二度と迎えたくない夜は、心燃える夢や目標があったからこそ
卒業制作発表会当日、私の作品は全て可愛いモデルたちが着てくれていた。細かいところを見られたらマズイ箇所もあったけれど、何とか完成まで持ってこれた。
そして私は、審査員特別賞を受賞した。
あの眠れなかった夜は、私の夢を叶えるためにあった夜だ。
卒業制作から5年以上経った今、あの時の頑張りを上回ることは出来ていない。
もう二度と眠れない夜なんて迎えたくない。けれどその気持ちの裏側に少しだけ、あれほど心が燃えるような夢や目標を探してしまう自分がいる。