眠るための必須条件を挙げるとすれば、無になることであると私は考える。
頭の中に残る考え事をすべて手放し、無の状態になって初めてヒトは寝入ることが可能になるのではないかというのが私の持論である。
書いては消しを繰り返した修士論文。私は眠れなくなっていった
このような考えに至った背景には、修士2年目の論文執筆が大きく影響している。
保存先のアメリカまで行って閲覧したおよそ70年前の資料を基に調査・分析を行ったが、執筆中の進捗状況は芳しいといえるものではなかった。読んだ資料の内容をピックアップし、メモを残しながらインプットするところまではよかったが、そこからオリジナリティが求められる自身の論文を構成していく段階でのアウトプットに非常に苦しんだ。
書いては消しを繰り返し、常に一歩進んで二歩下がる状態であった。
そんな状態が続いているうちに、私はだんだんと眠れなくなっていった。
眠れない理由については、進捗を残していないのに寝るなんてけしからん!というマインドが半分、もう半分は自身が何も残せていない事実にひどく不安を感じ、寝るどころではなくなっていたのである。
眠れなくて低下するパフォーマンス。典型的な悪循環に陥った
眠れないとどうなるか、非常にシンプルである。眠れない故に疲労は解消されずに身体に蓄積し、だんだんとパフォーマンスが低下する。そうなると進捗状況は日に日に悪化していき更に眠れなくなりパフォーマンスは低下し続ける。
加えて、何も進められない事実により自己嫌悪に陥り、精神は病み、うつ状態に近づいていく。典型的な悪循環、負のループの完成である。
実際、当時の私自身がどうだったかというと、夜は眠れない故に時間がもったいないと感じながら何としてでも執筆を進めようとあがき、限界がきた際には横にはなるが全く寝付けない。そのまま朝日が昇る様子を見守りつつ、陽が出て気温が上昇した途端に電池が切れたかのように眠る。完全なる昼夜逆転状態であった。
ほとんどの社会人が活動している日中に起きていられない自身に対する絶望感。そしてみんなが寝ている深夜にひとり眠れず、独りぼっちで覚醒していることに孤独感を感じていた。この世界で今起きているのは自分だけかもしれない、なんてことを本気で考えていた。
眠れない夜をいくつも超えて得た学び。自身を解放することが重要
そんな夜をいくつも超え、学び得たことが三点ある。
一点目は、許される限り、いつ寝ても構わないということである。寝る、ということそのものが最重要事項であり、時間帯に左右されるものではない。いつ寝るか、ということに固執せず寝ることそのものを大切にする方がより健康的である。
二点目は、オン・オフの切り替えの重要性である。私の場合、オンは論文執筆、オフは睡眠である。この両者をはっきりと区別し、どちらかに集中すべきであるということに気付いた。中途半端が一番良くない。
最後の三点目は、気にしない、ということである。進捗状況が最悪でも気にしない。努力不足でもなんでもなく、出来ないときは出来ないのである。どうにもならないことで自身を追い詰めてもロクなことにはならないのである。
悩み事や心配事は尽きないが、質の良い眠りを追求するためにはこれらと対峙し、これらから自身を解放することが重要なのである。