国際恋愛の果てに、第3フェーズにシフトできずに別れた
これは、3年間、国際恋愛して別れてしまった時の話。
恋愛には、3つのフェーズがあると思う。
相手のことが全て素敵に見えて、たとえ相手の短所が見つかったとしても、見て見ぬふりをする第1フェーズ。
何かの拍子に、相手に対する不満が1つ出てきた時、過去のことを全て掘り返して、「あれもこれも」と相手が嫌になる、第2フェーズ。
短所も、嫌なところも全て愛せると思える、第3フェーズ。
全て愛せると思ったら、それが結婚のベストタイミングだと思う。
相手の短所も受け入れることができたら、それは「かっこいい彼」や「自慢の婚約者」としてではなく、人間として相手と向き合えている証拠だから。
私は、第2フェーズから第3フェーズにシフトできずに、別れた。
私にとってゆずれなかったことは、彼にとっては、「恋人なのだからゆずってくれて当たり前」のことだったから。
私には「自分の能力を生かして人生を歩みたい」との想いがある
恋愛関係において、私が、ゆずれなかったことは、相手と別れることになっても一人で生きていけるスキルを身につけること。
そこには、「専業主婦にはなりたくない。自分でお金を稼ぎ、自分の能力を生かして人生を歩みたい」という私の想いがある。
国家資格を持って働いていた母が、結婚と出産を機に、専業主婦になり、キャリアを捨てて、家族のために人生を捧げてくれた。母が昔の職場について語るときは、すごく明るい顔で楽しそうに、けれどもどこか退職したことを悔やんでいるようで、私は悲しかった。
2人を結び付ける愛は、必ずしも永遠ではない。
死が2人を分かつまで一緒に仲良くいられるのか、神様は約束してくれない。
「結婚する」時に「離婚」のことを考えるのは、縁起が悪いのかもしれない。
だけど、とても大切なことだと思う。
人生は楽しいことばかりではない。出会いがあれば、別れがある。
2人いれば幸せは2倍だけれど、不幸は半分にはならない。
特に、国際恋愛においては、住む国によって法律も異なれば、離婚した際の子供の親権の取り決めも異なる。
たとえ、「離婚」をして、異国の地で子供を、元パートナーと育てることになったとしても、十分に生計を立てられることが、私にとってはゆずれないことだった。
女性として強く生きていきたい。だから、相手に頼ることなく、1人で生きていく力を持ちたかった。
それは、働き続ける、ということだけではなく、精神的にも、相手に依存するような恋愛のカタチ、相手のためだけに尽くす恋愛のカタチを卒業することを意味する。
「相手のために」仕事を辞めて、キャリアを諦めること。
その犠牲は美しいけれど、10年、20年経って、真に大人なレディーになってから、自分の人生を少しでも諦めたことを後悔したくなかった。
私のキャリアよりも、2人の共同生活を始めることが大切?
国際恋愛においては、どちらかが移住をしなければいけない。
彼よりも5歳年下で、まだ就職したばかりでキャリアさえ形成できていない私が、移住するという計画だった。
私は、異国の地で仮にシングルマザーになったとしても生きぬく覚悟で、語学を磨き、現地の人に引けを取らないネイティブレベルに達した。
私が日本を離れることで、彼にゆずったつもりだった。
他方、彼にとっては、私たち2人が1日も早く共同生活を始めることが大切だった。
新卒1年目だった私に、「来年移住してきてよ」と言う彼。
「僕たち本当に愛し合っているのだから、早く一緒になろう」と。
「仕事はこっちに来てからも見つかるから大丈夫だよ」と。
私にとっては、それなりに苦労して、納得して入社した会社を、1~2年で辞めたくなかった。世界中どの国に行っても、2年未満の就業経験は新卒同様の扱いであり、転職では全く通用しないことは分かっていたからだ。
大変だけれどやりがいも感じていた仕事を、恋人のために早く辞めるなんて、嫌だった。
そう言う私に対して、彼は「そうやって3年、5年と時間が過ぎていったら、僕はあっという間に30歳を超えてしまう。最後は、仕事か僕かどちらかを選ばなきゃいけないよ」と。
だから、私は仕事を選んだ。
ゆずれなかったことを後悔はしていない。
彼が悪いとも思っていない。
ただ、私たちは合わなかったのだ。