「もう一人欲しいでしょ?」という言葉にモヤモヤする

一昨年、初めての出産を経験した。
陣痛がきてから2時間ほどで終わった私の初産は、誰がどう見ても超がつくほどの安産だった。
安産といえど、私にとってその2時間は壮絶だったことに変わりはない。しかし、それすら大したことなかったと思えてしまうほどに、私にとって最も辛かったことは、出産そのものではなく、その後に待ち受ける「子育て」だった。

十分に眠れない日々。何をしても泣き止まない我が子。当然だが喋れないので、何で泣いているのか途方に暮れる時間。授乳、オムツ替え、寝かしつけ……それだけで過ぎていく一日。
やりたいことがたくさんあった。行きたい場所がたくさんあった。我が子の成長を喜ぶ反面、思うようにできない毎日がとてもしんどかった。

もちろん我が子はとても愛おしく、妊娠中も含めて、命を授かるという、神秘的で貴重な経験をさせてもらったと思っている。
あやせば笑うようになった日、寝返りができるようになった日、はいはいをした日、つかまり立ちができた日……親になってからも忘れられない瞬間がたくさんある。

でも、私はこれっきりでいいと思う。
それは、間違った選択なのだろうか。

家族や職場の人たちが度々話題に出すようになった「2人目」というワード。私はこの言葉に、話題に、いつでも心のうちがもやもやと黒い渦を巻く。

「いつかはもう1人欲しいでしょ?」
「1人目は男の子だったから、次はやっぱり女の子がいい?」

子どもはもういいかなと、親に本音をこぼした時も、「そんなこと言わない。ひとりっ子はかわいそう」「兄弟はいたほうがいい」そう返された。

出産はもういい、という私の選択は間違っているのだろうか。
2人目は産まないという選択は、我が子のことを想っていないことになるのだろうか。
ひとりっ子ゆえに、寂しい思いをするかもしれない。その解決方法は、果たして「兄弟」以外にないのだろうか。
特に親とこの話題になるたびに、私はいつも責められているような気になる。

「今」の私の「産まない」という選択を受け止めてほしい

3人姉弟で育った私は、兄弟がいるという幸せも知っている。
我が子を見て、ふとした瞬間にこの先ひとりっ子で寂しい思いをさせてしまうのか、と悩むこともある。
社会問題として、もう何年も前から少子化が取り上げられていることも知っている。

それでも、もう一度子育ての大変さを経験できるかと問われれば、私は自信をもって「イエス」と答えられない。もう一度、自分の時間を犠牲にできるかと問われれば、「イエス」と即答することができない。
これは自分勝手な、我儘な言い分だとどこかで自分を責める声と、私の人生を私が決めて何が悪いの、という声がいつも心の中で葛藤する。

ありがたいことに、夫も2人目に関しては特に固執しておらず、私の意見を尊重してくれている。
出産は、とてもナイーブな話題だと思う。産める人。産めない人。幸せ。苦しみ。その人それぞれに思うことがある。感じることがある。考えることがある。
私は「産まない」を選んだ。もちろん未来がどうなっているかなんて分からない。もしかしたら、兄弟が欲しいと言い出した我が子を想って、数年後の私は2人目を出産しているかもしれない。でも、「今」の私は「産まない」を選ぶ。

まずは、その選択を受け止めてほしいと思う。