漠然と、いい高校、いい大学に入れば、いい会社できちんと働けると思っていた。そう信じていた。
ここでいう「いい」というのは、偏差値が高い、高学歴、あるいはホワイト企業のことだ。「きちんと」、「普通のことが当たり前にできる」。それが出来ない性質、発達障害ASDを持っていると知ったのは、働き始めてからだった。
人一倍努力して手に入れた大卒の肩書きも、己が使い物にならなくて
確かに、他人より愚鈍だった。だから人一倍時間をかけて努力をした。親に参考書とか塾とかで、お金もかけてもらった。そうしてなんとか手にした大卒の肩書を引っ提げて就職した職場で、己が使い物にならないとは想像もしなかった。
職場のカウンセラーに相談したら精神科受診を薦められた。大人の発達障害かもしれないから、と。
「発達障害のASDです。知覚統合と処理速度が常人と知的障害者の境界線ですね」
知能検査(IQテスト)を受けた結果、臨床心理士の先生に言われた。これらはどういうことか。
ASD、自閉スペクトラム症。昔で言う所の広汎性発達障害。IQの凹凸、つまり出来ることと出来ないことの落差が大きく、またそれによって二次障害として、うつ病などの精神障害に苦しめられやすい。自分がそうだなんて学生時代は思ってもみなかった。
発達障害、ASDと一口に言ってもその特徴は人それぞれだ。
私は説明書が読めない。図面や地図を読み取るのが苦手で、そういった問題が解けない傾向にあった(確かにそうだ)。また、それらの性質が転じて「空気が読めない」とか「突発的な事態に臨機応変に対応できない」(これは学生時代から自覚があった)。また、処理速度は文字のままだ。物事を成し遂げる速度や成長が遅い。ただただ遅い(その通り)。
個性だと思っていたものを「障害」と診断されるなんて
まさか、25も過ぎて障害者だと診断されるなんて想像もしていなかった。だって個性だと思ってたから。
愚鈍だった(と思っていたし周囲に言われた)から必死に努力した。勉強もした。親にお金出してもらって大学まで行ったのに、その結果が賃金の少ない障害者雇用にするか、健常者として苦しみながら働くか。
小学生の頃に埋めたタイムカプセル、30歳の自分へ書いた手紙には、「きちんと立派な大人になって働いていますか」。
あの頃の自分へ。全然そんなことはありませんでしたよ。ちくしょう。
先生に適職を聞いてみたら「事務の入力とか、作家とかですかね」とのこと。
うーん、そうだよな、決まりきったルーティンワークを正社員でこれといった資格なしでやらせてもらえるなんてないよな。緊急事態が生じたらその場その場で臨機応変に対応してかなきゃならないし、アルバイトの人が出来なかった分の仕事までこなす。それが正社員だ。
食べていくために働く。そのはずが、いつの間にか食べられなくなってきた。眠れなくなった。
なんだか疲れたな、と思ったら適応障害になっていた。
新卒採用から2年間、働いていた職場を休職した。
普通になりたくて努力してきたのに、それができないことがショック
眠れない。いつまで経っても。眠れない、眠りたいのに。
いつだって不安はつきまとう。
普通に生活してたのに、そして普通になりたくて努力してきたのに、私は障害者だった。
でも、ぐるぐると眠れない夜を過ごすうちに気が付いたのだ。障害者であることがショックだった訳じゃない。たまたま個性が強かっただけ。
私が辛かったのは「普通の」「きちんとした」大人になって「真面目に」働いて社会に貢献したかったからだ。社会の一員、歯車になって人の役に立ちたかった。それがたまたま「きちんと」できなかった。
神様。私が眠れないのは、障害者で病気だからじゃない。
それでもなお社会の歯車になりたいと願う、そのちっぽけな願いが叶うか叶わないかが分からなくて不安だからなのだ。