上の世代、といっても、今や人生100年時代。10歳刻みでも、アラサーの私から見て、上の世代も7つに分けられます。年齢ではないもので分ける方法もあるでしょう。戦争を知る世代、知らない世代、祖父母世代、親世代といったように。
それぞれの世代に、思うことはあります。羨望も、怒りも。ただ私の思うそれらのほとんどは、「上の世代」と一括りにして述べるのは難しいものです。上の世代の中にもたくさんの人が居て、個々に考えていること、行動してきたこともあるでしょう。同じ時代に同じ歳を生きたというだけで、正反対の人がいてもおかしくありません。

ただ、一つ、上の世代のすべての人に対して言えると思っていることがあります。
それは、「上の世代」であるあなたたちがいて、「下の世代」である私たちがいる、ということです。上の世代から下の世代に繋がっているということです。

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大きなことで言えば、例えば、文化。
私は寺社仏閣を巡ることが好きなのですが、日本の古刹名刹が今に受け継がれているのは上の世代の尽力、姿勢があってのことだと考えています。
そもそも私自身がそうですが、日本人は信仰心が篤いとは言えない国民性です。それでも寺や神社がありがたいものとして尊ばれ、敬意を持って接され今に至ったのは、上の世代が下の世代にその態度を見せ、聞かせ、伝えてきたからではないでしょうか。そうして遺されてきた寺社仏閣やそれに付随する文化は私たちの楽しみになり、この国の観光資源にもなっています。

もちろん、良いことばかりではありません。小さなことですが例をあげると、大学時代、とある研究室には悪習がありました。研究室の頭である教授の下に付くと、必然的に教授の雑用を引き受けなければならなくなるのです。
これはずっと受け継がれて来たことですが、昔、始まったころはそこまで敬遠されることではなかったのでしょう。やることは増えますが、教授の代理ということで普段は使えない高価な備品を潤沢に扱えたり、就職活動に教授が力添えしてくれたりといったりといった利点があったからです。
けれども時代が下るにつれ、研究費の獲得が難しくなって節制が求められ、就職活動も教授の口利きではなく己で動かなければいけなくなりました。そうして今となってはアカハラにもなりかねないそれが、悪習として残ったのです。

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この二つは、規模の大小はあれども、表裏一体です。
今、良いこととして残っていることは、上の世代の功績であり、私たちへのギフトです。その一方で、上の世代の失策や失敗、もしくは無関心や放置によって負の遺産として引き継がれたものは、私たちを苦しめています。
私たちはギフトに感謝しなければいけないと同時に、負の遺産へ怒る権利を持っていると思います。だからこそ、上の世代に伝えたいのは、今に残された良いものについて誇ると同時に、悪いものへの責任も忘れないで欲しい、ということです。決して、どちらか一方ではなく。

そして、絶対に忘れてはいけないことが一つ。私たちの世代があって、その下にも世代がある、という自戒です。
今はまだ数少ない下から見れば、私たちも年長者。私たちが上の世代と呼ばれる日もそう遠くないでしょう。だからこそ、私たちの考え、選択したこと、行動したことが下の世代の環境を作ることを常に肝に銘じなければならないと思うのです。
良いものを繋ぐこと、悪いものを覆すことを自覚的に行いたい。けれど自分たちがしてしまったことで下の世代が不利益を被るならば、それから目を背ける人間にはなりたくない。そう考えます。