直接は政治が関係していないかもしれない、でも、えらい賢い大人がなんとかしてくれないと困ることは、世の中にはたくさんあると思う。
当時は気がつかなかったけれど大人になってみて、ああ、あの時実は嫌だったんだな、とやっとわかることもある。
そんなひとつのエピソード。

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中学生がハーフパンツジャージを履いているのをみた時。
高校生がスカートに白いワイシャツをきているのをみた時。
わたしは無性に悲しくなる。
あの格好をするのが実はかなり苦しかったのだなと、今頃になってやっとわかった。

いろいろなことの多様化が認められようとしている。
ジェンダー、性自認、恋愛、結婚、出産、服装、好み。
みんなで得体の知れないものを認めようと必死になり過ぎて、私たちはむしろその「マイノリティー」の型にはめ込む事しか見えていないのではないか。

短いズボンを。スカートを。白いシャツを。体の露出が多い格好や体のラインがわかりやすい格好を、制服や規定として定められた事が苦しい。
だからと言って、わたしはスカートに抵抗があって自分が男の子だと思っているわけではない。
過去に怖い性犯罪にあったことも幸いにしてないし、そういったトラウマが原因というわけでもない。
うまく言えないけれど、ただ嫌だった。
そこに社会が認めてくれそうなはっきりとした理由やボーダーはなかった。

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誰かが「なんか嫌だ」と思う可能性のあるものまで決まりとして取り締まる理由は、あるだろうか。
多分わたしはただ肌の露出が多い服装が嫌で、体のラインがわかりやすい服装が嫌なのだ。
学校を卒業してもそれは変わらない。好き好んで、そういった服装を避けている。

無意識にセクシャルな何かを怖がっているのかも知れないし、実は思いの外寒がりなのかも知れないし、はっきりとわからない。でも嫌だ。とにかく嫌だ。
今のわたしは、毎日膝上の長さのハーフパンツやスカートを履けと言われたら、多分死のうとするだろう。
白い体操服やワイシャツを着ろと言われても。
怖いと嫌だの中間点。
街中の中学生、高校生たちは困っていないだろうか。
疑問にも思っていないのだろうか。当時のわたしみたいに。それが若いということなのか。いや、青いのかも知れない。
わたしはあなたたちを街中で見かけると、なぜだかものすごく苦しい。
あんな格好で外を歩かせるなんて、電車に乗らせるだなんて。
とても信じられない。
子供たちを守る気が本当に大人たちにあるようには、とても思えない。
これはわたしの認知の歪みなのか。
わからない。

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これは服装だけの話でないと思う。
例えば、何かを好き嫌い言うと、それがごく一般的な回答でない場合にどこかのマイノリティーへ分類されることになるだろう。
それがわからないなりのわたしたちの「理解」だから。
あなたスカート嫌なのね。心は男の子なのね、と。
わたしだってしてしまうだろう。
無意識なマイノリティーへのカテゴライズのために、わたしに傷つけられた人もきっといるのだと思う。申し訳ない。本当に本当に。でもその数は少なくないように思う。

この次元を克服するために、わたしたちはどうしたら良いのだろう。
わたしはどうやったらこの理解されない立場を、なんとなくの嫌だを言い出せない立場を、そして他者を理解できない立場をもを脱する事ができるのだろう。

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とにかく多くのパターンを知る事ができたなら。
心の性と体の性が合致しないわけじゃない、けれど異性的な服装が好みな人もいると。
そういうグレーゾーンと思われがちな例がこの世に幾つ存在するのか。想像しただけでもくらくらしてくる。
でもそういった事が大切なのではないか。
一歩になるのではないか。もしかしたら。

専門家のひとたちが、わたしたちの前でもっといろいろなことを話してくれたら。
それが政治に、学校に、会社に反映されていったら。
それが社会の空気に反映されていったら。

そう願わずにはいられない。
わたしたちにその寄り添いあいの体力があると信じて。