ムーブメントというのは「かつて子どもだった人たち」が作り出しているんだよなと常々思う。昨今のオタク文化が最たる例ではなかろうか。
学校で堂々とラノベを読めなかったのも今は昔
「オタクが市民権を得た」とか「ラノベが小説のいちジャンルとして確立された」とか言われ始めて久しい。
私が10代のころはオタクは差別されうる少数派だったし、ラノベは学校の読書の時間に読むものではないと言わんばかりの空気感が学校中にはあった気がする。
それが今では、街中で鞄にアニメグッズをつけている女の子たちは珍しいものではなくなったり、推し活は精神的な健康にいいという研究結果がネット記事に登場したり、ラノベの中でも「昔のラノベのほうがよかった」とか2000年代に流行ったものが古典と呼ばれているのを見かけることさえある。
そういった変化もまあ当然といえば当然だよなと思う。本格的に娯楽を生産する人間がティーンのころに面白かったものに自分たちの価値観を上乗せして再生産しているのだから、そりゃそうだ。
「子どものころ好きだったもの+今の価値観」で出来るのは?
ラノベを例にするならば「異世界転生系のジャンル」の生産の中心軸は、10代にラノベを娯楽消費した私たち世代だったのではないか。
どう頑張っても生活はよくならない。ちっぽけな自分に限界を感じる抑圧感から解放されたい。だから生まれ変わって自分が面白いと思う世界で生き直したい。
そういった価値観は同世代を中心に共感を呼ぶし、時代を反映した価値観だと思う。
となると「次の時代に流行るものは何か?」というのを考えたときに、非常に単純な推論が出てくる。この言葉の「次」がいつになるのかは厳密には不明だが、とにかくそう遠くない未来に流行るもの。
それは「ティーンを含む、今の子どもたちが娯楽として消費しているもの」である。
今の子どもたちが娯楽と消費しているものは、今の私たち大人が生産したものであろう。
SNSをはじめとするインターネットが発達して国民総発信者時代といっても過言ではない背景があるから一概には言えないかもしれないが、それでもだ。どんな生産物も過去にあったものの模倣という側面は免れないだろう。
そう考えると「今、私たち大人が何を作るか?」は結構大事なことなのではないかと思う。言い換えれば「今、作られたものが未来を創るのではなかろうか」という話にもなってくる。
そこで一番避けたいと考えてしまうのは、負の遺産の継承である。
女性の忖度がいまの世代にツケとして回ってきている
一番わかりやすい例は、男尊女卑だ。
はっきりいってこれは脈々と受け継がれている負の遺産だと思っている。
「嫌よ嫌よもスキのうち」とか「女は男に忖度せよ」とか「男の気分を害せずにうまく転がすのがいい女」とか、そういった男尊女卑。
この負の遺産は何も男性だけが作った横暴なものではないと考えている。その横暴を受け入れてきた女性たちも加担していたと思うのだ。なぜならば現象そのものが相互扶助がないと成立しないからである。女性が忖度しなければ、男性が自身の幼児性に甘えて生きていくことはどう考えても不可能である。
女性が忖度しなければ既存の社会システムの中で生き抜けなかったという背景も大いにあると思うが、今の我々世代に手を変え品を変えた形でツケが回っていることは変わりないだろう。そういったことを、最近になって悟った。
たとえば、アニメ化している作品を見ていると「これ子どもに見せていいのか?」と思ったり、私自身見ていてイラっとするような性描写が混ざっていたりすることがある。
なんなら「こんなの女性に対する冒とくだろ!」と思って第1話のオープニングにたどり着かずに観るのをやめた作品すらあるのだ。
これに関しては「そもそもターゲットが大人や男性である」とか「表現の自由が優先だ」とかという話になってきてしまう。もちろんこういった意見は否定しないし、そういったものが世界に存在していて、誰かの娯楽になっていること自体は否定しない。
かくいう私も表現の自由は無論、死守したい。
ただ今の子どもたちに見せても恥ずかしくないものを残したいと思うし。
今のティーンが私たちくらいのアラサーになった時に「平成の負の遺産」なんて呼ばれそうな価値観は今のうちに葬り去っておきたいと思うのである。