掌中の新幹線切符をちらりと見る。
のぞみ418号。東京8時21分発。京都10時32分着。
いいな新幹線は。出発駅があって、ちゃんと終着駅まで一直線、どこに何時に着くのかも最初からわかっているのだから、と寝不足の頭でぼんやりと考える。
ワタクシ、まよ、28歳。社会人という出発駅をでてたった一年で心の調子を崩し、絶賛休職中。未来という終着駅への道は、真っ暗とまではいかないものの、うすぼんやりと見通しが悪い。
休職中家でひたすらごろごろ休養していた私は、今東京から新幹線に乗り、奈良に向かっている。
目的は鹿にしかせんべいをあげるため、ではない。初公開の映画を観に行くのだ。友達が立ち上げた映画塾が作成した初めての作品であり、彼女が脚本を手掛け、ヒロインの母役として出演した映画だ。
映画が公開されると彼女からLINEで聞いた1分後には、新幹線の切符を調べていた。絶対に観に行かなくてはと思ったのだ。そんな彼女Mちゃんとの付き合いは高校時代にさかのぼる。
◎ ◎
Mちゃんは高校時代のクラスメイトだった。でもクラスメイトとしての思い出よりも、行事を一緒に乗り越えた同志としての方が思い出深い。
高校3年生時の体育祭の団幹部同士志として。同じく高校3年生時の文化祭のクラス劇同士志として。そう、クラス劇。
私たちの高校は3年生になると、どのクラスもクラス劇に取り組む。来場者数の多い文化祭であるわが校のクラス劇は、大変盛況で注目を集める文化祭の華のため、どのクラスも熱量が半端ではない。誰もが総合人気投票1位を目指す、まさに「ガチ」なイベントなのだ。
そんなイベントで私たちのクラスが取り組んだ劇は、「ロミオとジュリエット」のオリジナルアフターストーリー。原作で愛に生き愛に死んだロミオとジュリエットが、もしジュリエットだけ生き残ったらどうなるか。ジュリエットは喪失をどう乗り越えるのか、ジュリエットが新たに見つける「愛」とは何なのか――こういった物語である。
なぜ私が10年も前の文化祭のストーリーをここまで詳細に覚えているのか。当たり前である。私が脚本を書いたのだから。ついでに言うと、主演ジュリエットも私。今こう書いていてあまりに自己中心的で傲慢でびっくりする。
でも取ってしまったのだ。総合人気投票1位は無理だったけれど、それでも名誉の2位を(はい、私の最大の自慢です。すみません)。
Mちゃんはキャストの一人として劇に参加し、夏休み中、練習で顔を合わせた。そうするうちにどんどん仲良くなっていき、二人きりのときはお互いに夢について語り合ったこともあった。私はジャーナリスト。彼女は「何か創りたい。手作りの絵本でもいいから、子供にこれ私が作ったものだよーって胸を張れるなにかを創りたい」と目を輝かせて語っていた。
◎ ◎
そんな彼女が、10年後、銀幕で、トークショーで生き生きと輝いていた。
正直私は、夢を叶える人の持つキラキラしたオーラに圧倒されていた。心の底から嬉しくもあり、心の底のほんの少しの部分では嫉妬していた。10年前、ジャーナリストを目指した私はまだ何も成し遂げられていないどころか、明日の体調さえ分からない。
あの時2位になった劇の脚本書いたの、私だったのにな、といらぬプライドがむくむくと頭をもたげる。過去の栄光にすがりつく私の悪い癖だ。
でも、悔しさで泣くわけにいかない。嫉妬をするわけにもいかない。だって私は何の努力もしてきていない。悔し涙は努力してきた者の特権なのだ。私に泣く権利はない。その代わり、終演後誰よりも大きな拍手をした。この拍手こそ私のプライドだった。
終演後、彼女に花束を渡しに行ったら、お返しにと手土産を用意していてくれた。忙しいだろうに、奈良にまで来た私への手書きの手紙までつけてくれた。面白いのに、こういう細やかな気遣いができて、友達思いな所も好きなんだよな、と思い出す。
10年間という長い乗車時間で、彼女はここまでたどり着いた。
きっと終着駅なんて最初の切符には書かれていなかったはずだ。行先の見えない切符を手に、この終着駅にたどり着くまでどれだけの努力をしてきたのだろうか。
この10年のうちに、彼女は大学のダンスサークルを改革し、ストーリー仕立てのショーを演出したという。この10年のうちに、彼女はイタリアまで留学し、シナリオを学んだという。この10年のうちに、エンタメに関わる会社に入社後独立し、映画塾の代表になり、今回の映画プロジェクトを立ち上げたという。そしてその中で、心身のバランスを崩すこともあったという。
出発駅と、終着駅にしたい場所しか書かれていない切符。その道中車窓から見える10年分の景色が、どんなに愉快でどんなに大変なものだったのかは、切符の上辺からは読み取れない。それは彼女だけが知る物語だ。
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そういえば羽生善治さんが言ってたけ。
「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている」と。
私もこの考えに深く同意する。そしてこの考えが正しいとするのならば、あなたは本当に天才だよ、Mちゃん。本当におめでとう、心の底から。
会場を出て帰りの新幹線へと急ぐ。帰りの切符をちらりと見る。私の終着駅はどこにあるのだろうか。先の見えない旅路に泣きたくなってくる。でもMちゃんにとって、これは終着駅ではなく、また新たな出発駅であるはずだから。泣いている暇はない。泣きべそなんてかいていないで、私も頑張らなければ。そう強く思った。
そういえば、昔から短距離走より長距離走の方が得意だったけ、と思い出して自分に言い聞かせる。もう一度掌中の帰りの切符を強く握りしめる。
京都17時16分発、終着駅・到着時間どちらも未だ不明。