中学一年生の、夏休みを目前に控えた放課後のことだった。
私の通っていた中学校は山の中にあり、昇降口を出るとすぐに木々に囲まれた。そのせいで蝉の声がうるさく、それが自分に向けられた言葉だと気づくのに少し時間がかかった。
「テストで2番取ったんだってね。すごいね」
振り返ると、下駄箱の前に知らない女の子が立っていた。けれど、私はその顔を見てすぐ、その子の正体を知った。
「ありがとう」
私の声は、からからに乾いていた。彼女はにこっと笑い、それから私の横をすり抜けて昇降口を出て行った。一人きりになった私は、しばらくその場に立ち尽くしていた。
突然声をかけてくれた子は、かわいいと噂の別の小学校出身の子だった
うちの中学校は、S小学校の生徒とO小学校の生徒で構成されていた。人数の比率は、大体O小学校がS小学校の二倍ほどだった。私は少数派のS小学校出身で、知らない人ばかりの環境に不安を覚えていた。
そんなS小学校出身者たちの間で、何やらO小学校から来た子の中にとても顔が可愛い女の子がいるらしい、という噂が広がっていた。さらさらの黒髪に大きな目が特徴だという情報が拡散され、見かけた子はみんな大絶賛していた。
それが、あの日昇降口で私に声をかけてきたMちゃんだった。
私は彼女を一目見た時、すぐに噂になっている子だと分かった。年季の入った校舎はどこも古びていて、斜めに差し込む日に焼かれた昇降口は特に目も当てられないくらいだったけれど、Mちゃんだけは光を集めてかがやいていた。
映画の演出よろしく、タイミング良く吹いてきた風が彼女のゆるく二つに束ねられた髪を揺らした。その一瞬で私は彼女を知り、そして、心を奪われてしまったのだった。
中学校と高校の六年間で、私は彼女と同じクラスになることはなかった。
浮世離れした容姿以外にもあった、彼女とみんなとの違うところ
目立つ風貌のわりに中学校では大人しく身を潜めていた彼女は、高校に上がると友人の影響を受けたのか、有志が出演する文化祭のステージにまで立つようになった。その光景を、クラスが違って接点のない私は、一人の観客として眺めていた。
Mちゃんには、その浮世離れした容姿以外にも、他の人と違う点を持っていた。彼氏を作らないのだ。あの見た目ならば引く手数多だろうに、ついに高校を卒業するまで一度も、Mちゃんに彼氏ができたという噂を聞くことはなかった。
Mちゃんは、高校からInstagramを始めた。共通の知り合いからお互いにフォローし合って、私は彼女が意外にミーハーなことを知った。いかにもインスタ映えしそうなカフェに行ったり、画面上部がキリトリセンみたいになるまでストーリーを多用したりと、投稿も多かった。
インスタのストーリーにアップされた親密な写真。相手は女性の先輩で…
そんな性格を考えると、彼氏ができればすぐに投稿しそうなものだ。けれど、Mちゃんは彼氏とのツーショットも、男の人の腕だけが写った意味深な写真も上げなかった。
一度だけ、Mちゃんは部活の先輩と旅行に行った様子をインスタに投稿した。風景を眺める先輩の横顔だったり、やたらと距離の近いツーショットだったり、その親密さがうかがえた。明らかに、友人と撮る写真とは雰囲気が違っていた。
でも、その先輩は女性だった。
もしかして、と私の中にほのかな期待がきざした。もしかして、Mちゃんは。
私もMちゃんも、今は大学生をやっている。遠く離れた場所にいるけれど、インスタに投稿される限りは、彼女の今を知ることができる。
今日も、Mちゃんは彼氏を作らない。
もしかして、もしかして。Mちゃんが彼氏を作るまで、私は期待するのをやめられない。