「(私の名前)、目つきが変わったねぇって、(叔母の名前)が言っとった」と、父が、ボソッと、母に、言っているのを耳にした。私は、この叔母の言葉を聞いて、人の心情は、目つきにも表れるものだと、改めて、思い知らされた。
少しでも、取っつきやすくなったのならば、こんなにもうれしいことはない。また、私のそうした、ちょっとした変化にも気づいてくれたこと、私のことなど、気にかけてくれていないと思っていたため、それも、物凄く、うれしかった。

◎          ◎

私が、なぜ、目つきが、柔らかくなったのか。考えられる理由は、いくつかあると思っている。

一つは、不登校になり、どん底から這い上がるために、チャンスを逃すまいと、頭を使い、能動的に動くようになったからだろう。やれと言われたことを、思考停止した状態で、受動的にやり、暗いオーラをまとっていた頃と違い、まるで、水を得た魚のように生き生きと動くようになったと、自分でも、感じている。
今、出来ることは何か、常に考えて動くことは、気づいたら、できるようになっていた。大学生でも、この自主性は、いきるのではないかと思っている。

もう一つは、自分を変えたい一心で、自分と同じように、学校に行きにくい人たちが集まる演劇サークルに参加するようになったからだろう。
私は、幼い頃から、物凄く、シャイだ。決して、思い込みなどではなく、母にも言われたことがある。自分の声が嫌いで、いつも周りの人に、自分の声を聞かれたくないと思っている。周りに人がいる中で、大きな声を出すなど、もってのほかだ。

しかし、今では、そのような状況の中で、大きな声を出せるようになった。本当の自分を出せるような気がして、それはそれは、物凄く、うれしかった。

◎          ◎

その演劇サークルに参加するなかで、自分のなかの常識を覆された出来事がある。
それは、「私、大学に行かない」と、とある中学生が言っているのを耳にしたことだ。人それぞれ、行かない、または、いけない理由があるのだろうが、よほど、学生生活に嫌な思い出があるのだろうか。

私自身、嫌がらせや仲間外れなど、嫌な思い出はいくつもあるため、この先の学生生活に希望を持てなくなる気持ちは、痛いほどわかる。それでも、中学生活が終われば、充実した、高校、大学生活が待っていると、希望を抱いていたため、中学生までに、よほど心が折れてしまう原因となることがあったのかもしれないと思うと、物凄く、胸が苦しくなった。

また、将来、大学で何を学んで、どの職業に就こうかという今の私の悩みは、すごく幸せな悩みだと感じた。学校に行けること、普通に生活できることも当たり前ではないことを、様々な人との出会いや自分の不登校、躁鬱や脇見恐怖症などの病気の経験などを通して、身にしみて感じた。

◎          ◎

私は女同士の双子ということもあって、幼いころから、人と比べて自分はだめだと思ってしまうことが、癖づいてしまっている。しかし、自分がその人たちの羨ましい部分を手に入れようと、執着しすぎて、本当の自分らしさを失ってしまっているのではないかと思うこともある。
もう少し、自分を受け入れて、昨日の自分よりも、きょうの自分が少しでも、成長していることを大切に生きていきたい。