私にとっての「元気」は、心も体も、元気な状態のことをいう。
「元気?」と、友人にLINEや直接会った際に、質問することがある。あいさつの意図もあるが、心身共に健康か、見抜こうとしているのだ。
リフレッシュのため、馴染みの道を車ではなく、自分の足で歩いてみる
私の勤めている会社の側には、海がある。仕事面で心が病んだ際や、帰り際に、海を眺める習慣がある。「なんて、ちっぽけなことで、悩んでいたんだろう」と思いながら、広い海を眺めているうちに、気持ちが切り替わるのだ。
地球の3分の2を、海が占めており、地球は丸い。海を辿れば、地球の反対側まで繋がっているのだから、不思議である。
海以外にも、山や田舎道を通って、神社やお寺へ足を運ぶことも、リフレッシュとなっている。私の「元気」を取り戻す、秘訣である。
普段、車社会の、田舎に住んでいると「DOOR TO DOOR」の生活が、身に付いてしまう。徒歩10分で、到着する距離であっても、車で向かうのだ。
まずは、休日、馴染みのある道を、自分の足で、踏み締めて歩くことを意識した。
少し歩くことに慣れると「叔母の家まで、歩いて行ってみたい」という気持ちになった。叔母の家は、車で15分の場所にある。
だが、徒歩となれば、その道のりは、険しい。休憩所はなく、田畑が中心の、狭い道を歩くこともあり、足場も悪い。ひたすらに、歩き続けるしかない。また、叔母の家に到着したとして、叔母が、仕事で家を空ける時間に到着すると、クールダウンが、できないかもしれない。
桜を見たい気持ちが募り、母を誘って急勾配が続く道を協力して登る
それでも「どんなに苦しくても、今日、歩きたい」と思い、実行した。家と、叔母の家の往復に加えて、最寄りの、溜池に桜を見に行った。
往復合計で、5時間掛かった。帰りに叔母から、畑で取れた野菜を、両手いっぱいに貰い、足の重さに加え、野菜の重みと疲労感が増した。
だが、なんとか、自宅に帰り着いた時の、安堵感と、達成感、そして後々にやってくる、筋肉痛は、何ごとにも、代え難いものだった。桜を見たい気持ちは、以降も募り、翌週、枝垂れ桜で有名なお寺に、母を誘った。友人と1年前に、初めてその場所に訪れて見た、枝垂れ桜。
お寺は、山の方にあるため、急勾配が続いた。特に、本堂まで続く階段は、50代後半の母にとっては、辛い部分もあったが、協力しながら、登り切った。
お寺の近くにある食堂で、食べた料理は、とても美味しかった。店員さんも「美味しかった?また来てね」と声を掛けてくれる、優しい方だった。来年も訪れよう、と思った。
その数週間後には、四国八十八ヶ所の札所に、徒歩で出向いた。道順もあまり調べず、看板や、道行くお遍路さんを見かけては、彼らが通って来た道を、歩んだ。
励まし合い、目的達成を諦めなかったからこそ見える「景色」
足場の悪い山道を、進んでいくと、母の前職の上司に、声を掛けられ、途中まで、道案内をしてもらった。
元上司は、札所の近所に住んでおり、毎日の散歩コースらしい。60代とは思えない速さで、スタスタと歩き、やがては、後ろ姿まで見えなくなった。凸凹道を抜け、やっと札所前に到着した際、折り返して帰路に着く元上司に再会し、別れた。
札所で見た桜、八十八ヶ所巡りをしているお遍路さん、その他、お参りに来た人々。元気に歩き、母と共に励まし合い、目的達成を諦めなかったからこそ、成し遂げて、見ることのできる「景色」があると知った。
自身や、母の「元気」のために歩いたら、道中で触れる、生き物、自然、人、空気、匂い、天気などから、エネルギーを貰い、パワーチャージができた。体を動かす、日光浴を行うことで、心も、晴れやかになる。季節は春だが、道端には、栗が落ちていて「秋にも、歩きたい」と、その後の、モチベーションに、繋がったこともある。
定期的に、自然と触れ合ったり、散歩や体を動かすことが、ベストだ。だが、気が向いた日だけでも、外にふらっと、外出するのを、オススメする。
きっと、心や体が元気になるはずだ。