めまぐるしい日常、複雑に絡まりあった人間関係、私の奥底に押し込められた感情。いつまでも整理されないままではいつか何もかもわからなくなって、私のほうが押しつぶされてしまうのではないか。
そんな感覚を救ってくれるのは、いつだって私の思考世界だ。

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こんがらがったままの森羅万象は、眠りに落ちる寸前の私に暗い感情を投影する。私は感情に引きずり込まれ、眠りは私から遠ざかる。眠りはきっと、感情と相容れないのだ。
こんがらがったままの森羅万象は、寝ぼけなまこの私に重たい砂袋を乗せてくる。朝、目を覚まして毛布に手をかけようとしたとき、重たい何かに呼吸を遮られるイメージがよぎる。

そのイメージは数秒で消え去って行き、私の思考の外へ出ていってしまう。日々それが繰り返され、イメージがだんだん、スピードを落として私の上にとどまろうとするのだ。
私はきっと、そのままでは二度と起き上がれなくなってしまう。

初めて思考が私を救ったのは、きっと人間関係が複雑に絡んでいたあのときだ。
私は彼女のことが好き、彼女はあの人のことが好き、私はあの人のことが嫌い。中学2年生が認識できる絡まりはせいぜいそれくらいだった。

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私はあの子の何が嫌なのかわからないでいた。だからこそ彼女とあの人が仲良くしていることが辛かった。何か黒くてわけのわからないものに、私の大切な彼女が絡めとられていくような感覚。

だからこそ、文章は私を救った。はじめは文章とも言えないような粗末な二語文、三語文。次第に文章を修飾できるようになって、稚拙で短い文章が、徐々に現実世界と対応していく。
私の中で絡まっていたものが整理されていく。

私があの人を嫌う理由がわかったとき、そして私がふたりを見たときにくすぶる気持ちの正体がわかったとき。私はついに躊躇っていたすべてが丸く収まる手段に手を伸ばすことができていた。私はただ、あの人が一緒にいるときの彼女のそばに行くのを避け、彼女と別のときに別の場所で時間を過ごせばいいだけだった。

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私は今、大切な彼女と友人のままでいる。
高校、大学と進んで離れ離れになっても、時々連絡を取り、時々互いの家を行き来する。かつてそうしていたように会話をし、笑い合えるままでいる。彼女は私にとって大切な世界の一部のままでいる。
あのとき文章が私を救わなかったら、私は彼女ごとあの人との関係を断ち切るしかなかっただろう。

私が何かに行き詰まり、押しつぶされそうになったとき、私は必死に上を見上げて単語を探す。単語は思考のかけらだ。単語を組み合わせて、幼子が世界とつながる手立てを増やしていくように、私も世界と対応していくのだ。

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文章は私を救う。
文章は曖昧模糊とした世界を理路整然と組み立て、私がすべきことを示してくれる。
だから私は、向き合うのが苦しくとも文章を書き続けるのだ。私が道端の藪に埋もれないように。私の行く道を見出すために。

私はまた、幾度となく迷い込んだ複雑な関係性に落とし込まれてしまった。私はあれから時を経てたくさんの感情を生み出し、たくさんの思考に救われてきた。
成長した私に突きつけられるのは、いちだんと細く長い生糸の絡まりだ。

私は今日も、文章を書く。