私が広がる言葉の世界にハマり始めたのは中学時代だった。ノートを横向きにして、縦書きで本格的に書き始めた。
小学生の頃に大阪から来た転校生と組んで少し書いていたこともあるけれど、私には単独で書いていく方があっている。休み時間はずっとノートに書き続ける時間に充てた。
その時好きだったアイドルとの恋愛模様で、今で言うところの夢小説である。自分が今まで見てきたドラマや仕入れてきたドラマの構図パターンを、覚えている限りで応用した。日本のドラマに限らず韓流ドラマの要素が強かったかもしれない。気付くとノートは5冊になっていた。
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ただ、楽しかった時間は、余計な心配をした担任に邪魔されてしまう。担任からしてみれば「自分の受け持っているクラスで、友達と話したりしている様子が見られないのは貴女だけ」だと言い、女子の学級委員とその子と仲の良いもう1人に声をかけてもらうように頼んでいた。
担任の中では教え子たちに物静かな子はいて欲しくないのだろう。今の私が担任に手紙を書くのなら、自分の就きたかった職業に就いて満足せず、教師とはどんな役割なのかまで理解を深めて欲しいと伝えたい。学校には色んな生徒がいる。だから自己満足で生徒を巻き込まないでくれと……。
2年目になると、私の「書く」はストレスの捌け口になっていた。というのも1年の時と担任が変わらず、嫌いな数学が担当科目の担任続投だったからだ。加えて、理科室に書かれた先輩に対する悪口を「○年○組○○より」と私名義で書かれていたからという理由で理科の先生から容疑をかけられ、給食の時間に呼び出されたり、英語の授業で私とペアを組まされた子に「私は血液型がO型で誰に指摘されても気にしない性格だ」などと暴言を吐かれて担任がそれを肯定したりと、波乱の1年を味わった。
ずっと学校に行くのが嫌で嫌で仕方ない気持ちをどこに吐露すればいいのか。そう考えた時に言葉にして気持ちを整理することで気を紛らわせることができたのだった。
太宰治のように、内容の8割は事実で残りの2割はフィクションにして書いた。同時に言葉に向き合う時間もできたし、色んな言葉の意味を知るきっかけにもなった。
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受験を控えていた中学3年で一時的にセーブをして、高校入学直前の春休みに新しい話を書き始めた。今度はオリジナルで一から考えた。恋愛小説なのは変わらないけれど、好きなアイドルをキャストで想定しながら書くスタイルに変化した。
王道の学園ラブコメディとサスペンス要素を加えたストーリー。もちろん、読者は出てこないと思っていた。
けれど、高校で演劇部に入って2年目のタイミングで女子特有のノリで荷物検査が行われ、書いている途中の小説の存在が明らかにされた。先輩も面白そうだねと興味を持って下さり、そこで初めて自分の書いた文章が人の目に触れるということを知った。想定外の展開で、人の目に触れることが思っていた以上に羞恥心を生むと自覚させられたのである。
特進クラスの同級生2人と先輩の1人が読みたいと言って貸すことになり、恥ずかしいと思いながら少し嬉しかった。高校2年の冬には完結させていたし、読み終わって返すついでに来年の部活紹介で使う台本を練る事になって読後感を聞く。
生で読者の声が聞けるのは貴重だと、今はそう思う。
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そして、大学進学の基準では「文章表現を生かせる」学部に行きたいと真剣に考え始めた。
思い返すと英語表現の時にもストーリーを考える時間が設けられて、テストの時は問題用紙に印刷された写真を見てストーリーを考えるという内容が出題され、英作文から想いが溢れていたのか、凄く高い点数を貰った。
限られた時間で書いたから追い詰められた状況で力を発揮できる性質を持ち合わせているのかもしれない、そんな気がした。
言葉と言葉を繋げて文章を綴っていくことは時代の変化に左右されない。言葉と言葉を繋げると、書いた人の想いや考えは必ず伝わる。
ドラマ作品や映画作品も、脚本という主軸があって、その主軸を作るのは脚本家という人間。その人が核心を突く台詞を散りばめ、役者を通して全世界に伝わる。言葉には人の想いを紡いでいく無限の可能性があって、文章を考えて書いていくことは、これからも大事にしていきたい心意気になっている。
いつか自分は言葉に長けた人類の頂点に立ちたい。