もし私がこの場で100万円を手渡されたら、真っ先に貯金に回すだろう。
教養を身につけることが好きで、高等教育機関になじんだ私は27歳まで学生をしていた。だから、受け取ることのできる厚生年金も働ける時間も、学部新卒の人と較べると6年も少ない。私の目の前に大金が現れたとしたら、真っ先にやるべきことは貯金である。
しかし、一生のうちに一度は訪れてみたい場所がある。

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私は大学生になるまで周囲の人と興味・関心を共有することができなかった。なぜなら幼い頃から高等教育機関で習うものばかりに関心を寄せていたからである。
そんな私は7歳の時に母親とアンネの日記のビデオを見たことがきっかけでホロコースト史に関心を持ち、その後も史学全般が好きだった。そしてアンネの日記やその他の人物史にとどまらず、小学生の頃からホロコーストに関する書籍を読み漁るようになった。
周囲のみんなが外遊びに夢中になっていた低学年の頃、私の頭の中はホロコースト史でいっぱいで、1日300キロカロリーでどう生活するのだろうと、一人ブランコに乗りながら考えていたのを覚えている。

そんな私は、ホロコースト史の中核とも言える機能をなしていた、負の世界遺産にも登録されているアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所に行ってみたいと思っている。
今まで29年生きてきて何度もチャンスがあったというのに、一度も海外に行ったことがない。日本は世界一治安のいい国といわれているが、言語の通じない国で日本よりも危険な環境に出向く自信がない。万が一ともに旅行をした人と喧嘩をして別れたら、私は一人で帰国することができるのだろうか。
そんな不安に駆られながらこれまで何度もチャンスを逃し、気づけば一度も日本から出ぬまま30歳を迎えようとしている。まして英語圏ではないポーランドなど、たとえ誰かと同伴でも行けるのだろうか。そんな不安もある。

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そんな私の夢は、ホロコースト史に関心を持つきっかけを与えてくれた母と一緒に、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所に行くことである。
元々母は理系の人で、歴史になど関心を持っていなかった。しかし、教育の一環として私に教える際につい好きになってしまったらしい。そして母の最たる関心もまたホロコースト史である。

長年、私と母の間には進路のことを巡って確執があった。理系に進学させたい母と文系に進学したい私。幼い頃は文系のものばかりに関心を持たせていたのに、いざ進路となると理系を強要するのは卑怯だと常に両親のことを恨んでいた。そう言い争ってはお互い不干渉であった。
最終的には自身の努力で文系進路を勝ち取り、奨学金なしで27歳まで学生を続けることができた。

世の中の大半は学部卒で、それでも半数近くが奨学金を借りているというのに、私は1円も借りていない。また、文系の場合大学院に進学するメリットが殆どなく、たとえ優秀な人であっても反対される場合が少なくない。実際学部の後輩にもそういった学生が一人いた。
そのような状況下で上述した学生生活を送ることができたのは、全て両親のおかげである。

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元々身体が弱く、海外旅行に関心はなかったが、一生国内のみで過ごすのももったいない気もするのである。ならばせめて興味・関心の元となった部分だけでも見てみたいというのが本音である。
100万円あれば、ヨーロッパに行ってもいくらかは手元に残る。ほかはすべて貯金をするから、せめて死ぬまでに母親と一度は現地でホロコースト史の原点を見たいと思う。
このエッセイを執筆した日が、アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所が開放された1月17日と重なるのは、何かの偶然だろうかと思いながら、私はここに筆を執った。