図書館の司書さんのなかでも、ちょっとした有名人であった
小学生の頃、私は本の虫だった。病弱で、厚かましい今では考えられないほど内気だった私は、友達が少なく、本が唯一の友だった。
ハリー・ポッター、赤毛のアン、ローラ・インガルス・ワイルダー、青い鳥文庫、星新一、赤川次郎、さくらももこ、あさのあつこ……。夏休みなどは一日中本を読み、1日に4冊読破することもあった。
5年生から6年生にかけて図書館で借りた本の累計は2,000冊と、図書館の司書さんのなかでもちょっとした有名人であった。
沢山の本に囲まれた少女時代であったが、私の人生に最も与えたというか、縁が深い一冊は、アンネ・フランクの「アンネの日記」であろう。
2003年7月29日、9歳のとき祖母に買ってもらった。なぜか普段はしない、買ってもらった本の日付をその時、裏表紙に記していたことも、その後の私の人生との縁の深さの予兆である気がする。
この本を選んだのは、本屋さんの子供向けのコーナーにあった本の中でも595頁と断トツに一番分厚くて、「こんな分厚い本を読んでいる私、賢そうだしかっこいい」と完全に不純な動機であった。そんな動機ではあったが、私はすぐにこの本に夢中になった。
ナチス・ドイツを勉強するために、ドイツ語専攻を選んだ
アンネの日記は、ユダヤ系ドイツ人の少女であるアンネ・フランクが、1942年6月12日の13歳の誕生日にもらった日記帳で、紙上のパートナー「キティ」に充てて綴った2年間の記録である。
当初はアンネの日常のことが書かれているが、途中からはナチスのユダヤ人狩りから逃れるために「隠れ家」で家族と知り合い8人で潜伏した非日常の日常が綴られている。最後は密告でゲシュタポに捕まり、日記は1944年8月1日で終わっている。アンネはその後収容所で15年という短い人生を終え、8人のうち唯一生き残ったアンネの父、オットー・フランクによって「アンネの日記」は出版されることになった。アンネの日記の全世界発行部数は2,500万部にも及ぶ。
この本は私に二つの点で影響を与えた。ナチスのドイツ人迫害の事実を知り、もっとナチス・ドイツの歴史を知りたいと思うようになったのだ。
国際系の大学に進学した私は、専攻を選ぶ際、英語力を伸ばすために英語専攻か、昔から興味があったナチス・ドイツを勉強するためにドイツ語専攻か非常に悩んだ。そして最終的にドイツ語専攻を選択した。
2年間ドイツ語をがっつり学び、3年次のゼミ選択ではドイツ近現代史でナチス・ドイツの研究、ドイツへの語学短期留学の際はダッハウ強制収容所を訪れ、卒論ではナチス・ドイツのセクシュアリティ政策について7万字執筆した。
ドイツまみれの大学生活であったが、9歳のときに不純な動機で選んだ「アンネの日記」がそのモチベーションとなっていることは確かだった。
「アンネならこういうときどうしただろう」と考えるようになった
そしてもう一つの影響。「アンネの日記」は歴史の悲惨さを教えてくれるとともに、アンネの筆力にまず驚かされる。潜伏生活という全く外に出られない鬱々としたなかから、アンネの生き生きとした感受性と空想力で、日々を描写していく。
14歳という思春期の激しさや家族や同居人との衝突、日々の食事や宗教、恋愛のことや性や生理のことをセキララに語っていく。9歳の友達がいなかった私は、なんでも話せる少し年上の親友を得たのだった。「アンネならこういうときどうしただろう」と何かにつけて考えるようになった。
そして夢。アンネは1944年5月11日の日記でこう語っている。「わたしの最大の望みは、将来ジャーナリストになり、やがて著名な作家になることです」と書いている。それは私の夢でもあった。アンネは私にとって同じ夢を持つ親友、いや同志のような存在だったのだ。
アンネは15歳でその人生を終えている。いつの間にか私はアンネに追いつきそして遥かに超えてしまった。
ジャーナリストには、まだなれていない。でもこうやって書き続けている。今も。
「私は死んだ後でも生き続けたい」とアンネは願ったが、私の心の中で、アンネは今も生き続てている。