2023年、元旦。
今年も、実家で新年を迎えた。
お雑煮に入れるお餅を焼きながら、「いい一年にしようね」と、母と楽しく会話していたときだった。
「母ちゃんが死んじゃった」
泣きそうな顔で言いながら、キッチンに入ってきた父。

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父方の祖母には、あまり会ったことはなかった。
数年前から施設に入居しているのは、父から聞いて知っていた。
あと、他のお年寄りから「うるさい!」と怒られるほど、おしゃべりが好きで元気だったということも。
「100歳まで生きるからね」と言って、いつも笑っていたとのことだった。
だから、そんな人が突然この世を去ったことに、母と私は驚きを隠せなかった。

いきなり元旦から喪中になったことで、何とも言えない気持ちになった。
つい数分前まで「明けましておめでとう」と明るく言い合っていたのに。
友だちから来ていたあけおめメールは、複雑な心境のまま、何とか返信した。
翌日は、あんなに楽しみにしていた箱根駅伝をしんみりとした雰囲気の中で、こたつに入って黙って観ていた。
自分の出身校がまたシード権を獲得できて嬉しかったのに、今回は昨年のように家族で賑やかには喜べなかった。
仕事始めの翌日に葬儀だったので、一度東京に戻ってすぐまた帰省した。

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そして、迎えた当日。今年一番の寒さだった。
山奥なのもあって、余計に冷え込みを感じる。
時々、ビュービューと音を立てながら風が強く吹いていた。
その勢いで、窓ガラスがガタガタと鳴っていた。
私たち家族や、集まった他の親族たちのやるせない気持ち。
それを代弁しているかのようだった。
大切な人が亡くなって、葬儀が進むにつれて、きっともっと悲しい気持ちになる。
それなのに、この日は悪いことが重なってしまった。

私たち家族は、葬儀が始まるまで親族控え室にいた。
すると、父のスマホが鳴り、訃報が立て続けに飛び込んできた。
父の勤め先の社員さんのお父様。
それから、父母共通の知り合いの方のお父様。
連絡を受けて、混乱している父。
驚きすぎて、呆然としている母。
色々ありすぎて、フリーズしている私。
「新年になったばかりなのに、こんなに続くものなのか」と、私たちはただ顔を見合わせることしかできなかった。
ある意味、忘れられない日になった。
こんなに寒い日に葬儀に参加するのも、葬儀の日に他の人の訃報が届くのも、初めてのことだった。

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人が亡くなるのは悲しく、つらいこと。
今回の葬儀でも、涙が出ると思っていた。
実際は、感情が忙しすぎて、まったく出なかった。
葬儀に参列して泣かなかったのも、初めてだった。
あれから、数日経って、また別の方の訃報を受けた。
今度は、母方の祖母が生前、仲良くしていたご友人。
生前の祖母が「重なるときは、重なるんね」と、寂しそうな表情で言っていたのを思い出した。
新年を迎えた瞬間の、清々しい気持ちはとっくになくなっていた。
今は「大変な一年になるのだろうか」と、不安でいっぱいになっている。
暗い気持ちになってしまうのは、仕方がない。
それでも、2023年はまだまだこれから。
生きている私たちは、先へ進まなければならない。
悲しみを乗り越えて、これから今年を良い一年にしていきたいなと思う。