クリスマスの思い出、それは2020年の12月に家族と過ごした最高の時間だった。
いきなりだが、私はそれまでのクリスマスを充実して過ごしたことは殆どなかった。

2019年は公務員試験の勉強、18年は論文執筆、16~17年は大学院の課題、15年は大学院入学のための予習と、学生時代の長かった私はクリスマスを一度も落ち着いて過ごすことができなかった。
そしてようやく落ち着いたのは2020年。私は第一志望の内定先に上位の成績で合格することができた。27歳まで学生で、収入のなかった私も無事に社会に出ることができる。そして、その内定先は世間でも有名になるほど誰もが羨む場所である。
こんなにも幸せで家族一同が喜んだことは、今までの人生の中で一度もなかったと思う。

高等教育機関という、高い文化資本が求められる場所に適応的だった私

ここまで読んでみると私はとんでもない努力家のように聞こえるが、決してそんなことはない。単に、高等教育機関という高い文化資本が求められる場所に適応的であった、ただそれだけのことである。

世間では勉強ができる人イコール真面目で努力家で親孝行な人というイメージがあるが、大体有名大学に通っていたり教育年数が長かったりする人は、元々大学で学術として認められる正統的な文化を好んでいることが多い。

私は社会学、教育学、心理学等の人間科学全般に関心があり、その関心を高校卒業後から10年近く求め続けた結果に過ぎない。
研究者養成系大学院で優秀な院生と関わる中で、私よりも真面目で努力家で優秀な方々は沢山いるということを身を以て実感した。だから、私は決して大きな器ではないことは百も承知である。

では、決して努力や学術の才能がある訳ではない私が、なぜこんなにもリスクのある進路選択をしたのか。それは、自分の居場所を見つけるのに時間がかかったからである。

孤独な生活だった私に生きる楽しさを教えた、高等教育機関への進学

私は地元で過ごした18年間、孤独な生活を送っていた。勿論両親が厳しかったり周りの生徒と上手くやれなかったこともあるが、最も大きかったのは、興味関心を周囲の人と共有できなかったことだ。
闘病記を読んだり有名校の掲示板を観たり、直接受験に結び付く訳でもない分野に私は一人没頭していた。一度はまるととことんのめり込む性格で、これはストーカーではと思われるほどにネットを使いこなしていた。

私は典型的な根暗だった。クラスで決め事をする時は黙り込むが、社会科の授業の討論会では誰よりも発言をする。教師が知らない領域まで認知している。私は周囲から奇妙に思われていた。そして、孤独だった。

そんな私が生きる楽しさを感じたきっかけは、高等教育機関への進学だった。サークルや学生数の多さや大学図書館の広さが、無限大の可能性を与えてくれた。
学生生活にのめり込んだ私は、気付けば27歳になっていた。

孤独な生活だった私に生きる楽しさを教えた、高等教育機関への進学

こんな感じで社会に出ることが大幅に遅れた私であるが、いざ就職活動を始めると、長い学生生活は意外にも有利に働いた。学ぶ機会が長かったからこそ社会貢献意識が高く、その高い意識が人物評価へと繋がった。長年光の当たらない所でモジモジしていた私が漸く認められるようになったのだ。

家族もその過程を知っているからこそ、沢山喜んでくれた。その年のクリスマスはテーブルにご馳走を並べて盛大にお祝いをし、家族全員が今までになかったほどの喜びを感じていた。
恐らく家族ができて以来の最大のプレゼントだったと思うが、このプレゼント送り主は、私自身であったのだ。