彼は私に、性暴力被害の経験を打ち明けた。

そのカミングアウトは、大学生だった私にとって、重大な出来事だったはずだと思う。しかし、私はその深刻さをうまく受け止め切れなかった。

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思い返せばあのあと、私の調子はよくなかった。妙な動悸がして、後ろめたくてたまらないのに、理由が分からない。身体が支えや輪郭を失ってしまったような感じがして、不安で泣いてしまう。

パートナーが精神的に不安定だから、私も引っ張られて落ち込んでいるのだと思った。パートナーが抱える精神疾患への関わり方について、私なりに真剣に調べた。でも、彼の不安定さの原因であるところの性暴力というキーワードが、不思議なほど私からは抜け落ちていた。あの日彼は慎重にセッティングを整えて、私に打ち明けてくれたのに。 

彼の前では、動揺した素振りを見せないようにしていた。私の側では何ができるのか。密かに思い悩むばかりで、行き詰まっていた。独りよがりだった。

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あの日から半年が経って、彼は私に別れを切り出した。私は同意した。私にはとても、責任を持って彼と関わることができないと思った。私は逃げ出した。無力感でいっぱいで苦しくて、でもはっきりとはその理由が分からなかった。

それからさらに2年後。性暴力のニュースを見たとき、涙が止められなくなった。私はずっと、この話から逃げていたのか。

どうしてあのとき、私は彼の話を正面から受け止められなかったのだろう。私はあの日もそのあとも、彼に何も聞かなかったし、言わなかったし、踏み込まなかった。ただの一度も、その話題に触れなかった。こんなに重大なことを見落としていたなんて信じられないようだけれど、あまりにもひどい話で、直視することができなかったのだと思う。

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どうすればよかったのだろう。あとになって色々考えてみても、正解は分からない。ただ、本人に聞いてみればよかったと思うことはある。あなたは私に何をして欲しくて、何をして欲しくないのか。彼自身に尋ねてみればよかった。彼は私に、もっと踏み込んで話を聞くことを期待していたのかもしれないし、そっとしておいて欲しかったのかもしれない。

その質問をするずっと手前で、私は逃げた。理解のない私の一言が、取り返しのつかない形で彼を傷つけることが怖かった。本人にしか分からない苦しさがあることを、私は前提にしたかった。正しくないことを言ってしまう前に、私は逃げ出した。

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その時点では、逃げてよかったのだと私は思う。その時点では、逃げてよかった。ちっぽけな私に、すべてを正しく背負える訳がない。私には関わり続けられないという直感に従ったことは、間違いではなかったと思う。

だからといって、心から「逃げてよかった」と開き直れる訳ではない。なんて冷たいことをしてしまったのだろうと思う。被害者本人ではない私は、彼の苦しさから逃げられる立場にいた。彼の苦しさを完全には理解できないことを言い訳にして、理解しようともせずに逃げ出した。

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私が周りの誰かに相談していれば、もっとよい対応ができたのかもしれない。知識があればできたはずのことは、いくらでもある。性暴力被害者の家族やパートナーのためのリーフレットを見つけたときには、あの日から3年半近くが経っていた。逃げずに向き合うという選択がありえたはずだと、いまは思う。

それでも私は苦し紛れに、「その時点では、逃げてよかった」と書く。自分の限界を認めて逃げたからこそ、ほかの選択肢に気づけたのだと思うから。ひとりで背負えなくても、相手と距離を取りながらでも、時間がかかっても、できることがあったはずだと、いまの私は思う。ひとりで抱えきれないときには、逃げてもいい。いつか、逃げずに向き合えるようになるために。