甲子園。そこは、地方大会を勝ち抜いた男たちが意地と意地をぶつけ合い、日本最強を決める神聖な場所。そんな憧れの舞台を、私もかつての仲間たちと目指していた。

ところで、私は女だ。上記から高校生の頃、野球部に所属していたということは察しの通りである。しかし、マネージャーではない。選手として男子硬式野球部に所属し、日々の練習に明け暮れていた。

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私はなぜ男子野球部に所属し、選手として白球を追っていたのか。話は2008年に遡る。

北京オリンピックをテレビで観戦していた私は、女子ソフトボール日本代表の金メダルに感銘を受け、すぐに両親に懇願し少年野球チームに入れてもらった。なぜソフトボールの試合を観て野球がしたくなったのかは覚えていない。

実は、野球チームに入る過程でも両親に猛反対され苦労したのだが、今回は省略する。とにかく、北京オリンピックの2年後、小学4年生の時に本格的に野球を始めることができた。そして、中学生になっても軟式野球部で男子選手と共に練習を重ねた。

しかし、高校を決めるとき問題に直面する。ご存じの方も多いだろうが、高校野球において女子選手は公式戦に出場することができない。どんなに練習をしても試合に出られないというのはモチベーションに大きく影響する。さらに、前例のない女子選手としての入部を高校が認めるのか。体力や人間関係、着替えなど、少し考えただけでも多くの不安要素があることは容易に想像できる。

ただ、そんなことでめげる私ではなかった。受験前に何校かの野球部をまわり、野球部への入部を認めてもらえるか監督に直接確認したが、快く受け入れてくれたのは1校のみだった。ここから私の高校野球生活が始まるのである。

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ここで、疑問に思う方がいるだろう。10年前の話とはいえ、女子野球部のある高校に進学するという選択肢もあったのではないか。もちろん、あった。しかし、県外の私立高校。加えて全寮制である。遠く離れた私立高校に進むという選択も良いと思うが、私には合っていなかった。まず、勉強をして大学に進学したかったこと。そして、経済的な負担が大きすぎるということ。以上の2点から、県内屈指の進学校と評される地元の公立高校に進学したのだった。

野球部に入部してからは男子選手との体力や筋力の差を目の当たりにし、挫けそうになりながらも何とか食らいつき全く同じメニューをこなしていた。幸い、野球は筋力がものを言うスポーツではない。技術を磨けば女子選手が男子選手の中で活躍することも十分可能である。

練習試合は男子選手と同じように出場していたため、相手監督に驚かれることもよくあった。さらに、私は2年半の高校野球生活で変えたものがある。それは、高校野球公式戦における女子選手の出場権だ。

残念ながら、高野連が主催する大会においては現在も女子選手の出場は認められていない。私が得たのは市内大会の出場権である。全国規模で開催される選手権に比べればとてつもなくローカルな大会だが、背番号をつけてマウンドに上がることができた。

夢のようだった。それだけで報われた。もちろん、出場の承諾を得られたのは監督の計らいもあったが、地道に頑張ってきたことが形になった瞬間はとても嬉しかった。

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現在、女子野球部のある高校は全国に60校以上となり近年急増している。また、女子野球の全国大会の決勝が甲子園で行われるなど注目を浴びる機会も増えた。私は野球が好きで、野球をすることができる環境を自ら開拓した。

自ら前例になることにより未来の野球少女が通りやすい道をつくる。そんな想いもあった。これからも性別問わず野球の裾野が広がっていくことを願う。また、野球に限らず誰もが好きなことに思い切り打ち込むことのできる環境が整えば良いと思う。頑張れ!各界のファーストペンギン!