わたしを起こすのはいつも、あの男からの電話の音だった。
飲み会帰りらしい様子で突然「いまから行く」と電話がかかってくるのはいつものことだ。一度電話に気が付かず会える機会を逃してからは、突然連絡が来ても気付けるように、マナーモードを解除して眠るようになった。
同じ会社だから、業務の予定表で彼の予定を把握できる。夜に業務外の予定(おそらく飲み会)が入っているらしいことをひっそりと知ると、その夜はスマホを5分に1回開いて、メッセージや着信がないか確認するのが習慣になった。どうせ会うことができても、酒くさいまま体を重ね、行為が終わればすぐに眠り、朝早くに朝食も食べずいなくなるだけなのに。
横で眠っている男の寝顔を見ると、狂おしいほど好きな男が、わたしをすこしも愛さないことが悲しくて涙が出た。
◎ ◎
あの頃、あの男がわたしのすべてだった。
関係をもってすぐの頃は、彼は何度もわたしに会いたがった。
毎日のようにLINEがきたし、週に1度ほど会った。会うのはだいたいどちらかの家。わたしから会いたいと言っても会えないことが多かったが、あの男からの「来れば」は絶対だった。メトロの端から端みたいな距離の彼の家に向かう時も、電車の中でそわそわする時間が好きだった。
一回だけ、一緒に外に出かけた。あの男の誕生日、いいウイスキーを持って家に行ったら、ご褒美みたいに翌日の朝食をスタバでご馳走してくれた。そのたった一時間ちょっとのことを、宝物みたいに何度も思い返したりした。
少しはわたしは気に入られているのだろうと、なんとなく思っていた。
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けれど、次第に、向こうからの連絡は減っていった。
鳴らないスマホを何度も見て、嫌がられるかもと迷いながら連絡して、しばらく経ってからくるそっけない返事に落胆することが増えた。マナーモードを解除して眠っても、朝何も通知がないことを答え合わせのように確かめて、「やっぱりね」と呟くことばかり。
だんだんコントロールできなくなっていったわたしの執着心は、ただ彼をうんざりさせた。関係に名前がないことがばかみたいに不安になって、次の約束がほしくて躍起になった。
執着のお化けのようになったわたしと、言葉を交わすことすら面倒そうにする彼。
関係はとっくに終わっているのに、認めることができなかった。最後の日にあの男の前で泣いたわたしは、思い出したくないほど悲惨だった。
◎ ◎
あれから幾年かが経った。
いま、わたしを夜中に起こすことができる男はひとりだけだ。
彼は3時間おきに起きては泣いて、乳をよこせとねだる。おっぱいをあげておむつを替えてあげると、またすやすやと天使のように眠る。
その寝顔を見ると、彼の泣き声で起こされたことなんて忘れて、あまりの愛おしさに涙が出そうになる。
あの男が今どうしているかはわからないけれど、狂うほど恋をしていたあの頃の自分のことを、懐かしみはしても、戻りたいとは決して思わない。
いまは、家族との幸せな生活がわたしのすべてだ。