私が憧れていたものは、年齢です。
さあ、本屋で小説を――できれば現代小説を、もっと言うならばライトノベルを開いてみましょう。
主人公はたいてい中高生です。おおよそ、15から17歳ほどでしょう。
私は小学生のころから読んでいたライトノベルの影響で、「おとなとこどもの間」の年齢に憧れていました。
物語の中の彼らは、「ちゃんと」しています。私と違って忘れ物はしないし、クラスメイトと良好な関係を築いているし、失言をして場を凍らせることもありません。遅刻をすることもなければ、時間に追われてバタバタすることも、目覚ましをかけ忘れて寝坊することもないのです。当時の私には、物語の中の彼らは、完璧超人のように見えていました。
きっと私もそのころになれば、他の人のように「うまく」生きられるようになるのだろうと。
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しかしそれは大きな思い違いであったと、私は高校に入学してから知りました。
まず私の生活をはじめに阻んだのは、大量に出された課題です。私はスケジューリングが大の苦手で(19歳になった今でもチンプンカンプンです)、「○日までに提出」がわからないのです。もちろん字面では理解しますが、それがいつまでのことなのかという体感、他の課題との兼ね合い、というところまで繋がらないのです。
ですので、私のプランは「課題を配られたその日のうち、または翌日までに終わらせる」。おかげさまで一気に課題が配られた日などはたいへんな夜更かしをしました。
そんなことになれば、もう何にも手が回りません。課題だけでなく、日々の予習復習までしなければならないのですから。そんな調子で、睡眠時間が5時間を切る日が週に何度あったか。これによって、どうやら私はポンコツであるらしいと自覚したのでした。
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そして、対人関係です。場を白けさせるような失言はどうにか減ってきたものの、それはレスポンスが上手くなったのではなく、単に言葉を発することが少なくなっただけでした。つまり、何も成長していなかったのです。
15歳になっても、16、17歳になっても、それは変わりませんでした。
19歳になった今も変わっていません。
私は普通になりたかった。普通に憧れていた。時間が守れる人、忘れ物をしない人、スケジューリングができる、予定表を見て頭痛を起こすようなことがない人、ちゃんとコミュニケーションがとれる人。15歳になれば、16歳、17歳、成人となる18歳になれば、きっと普通になれると信じていました。そのために他人を観察し、どのように生活しているのかデータを蓄積し、自分なりに分析もしました。
それでも私はダメでした。
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憧れていたぶんだけ、努力したぶんだけ、私の果てしない無能さに、心が折れました。
最近は、仕方ないかと息をついて、頑張ることを半ば諦めています。
こういう生き方しかできない人間なのだろうなと、大の字で寝転ぶような気分です。
きっと普通になれると信じて憧れていた年齢になっても、それを超えても、私は普通の人間にはなれないようだと、気がついてしまいました。物語の中で見た「普通の」完璧超人たちは、私にとっては物語でしかなかったということなのでしょう。
でも、ひとつだけ願いを言うならば。
どうにか朝の支度だけは、スムーズにできるようになりたいものです。